或る光栄

In case of die.

ブログに綴っている内容は勤務する企業とはいずれの関わりもありません

ナッツフォードテラスからアシュレイロードへはしごする

 夜勤明けのボクは午後3時頃に目を覚ました。

 まとわりつくような湿気で汗にまみれた身体を寝起きのシャワーでしっかりとさせる。


 明日は非番だ。

 マカオのリスボアあたりでポーカーに興じるのも悪くないな と考えたのち、チムサーチョイのいつものおみくじで運試ししてから向かうことにした。


 ノースポイントの部屋からフェリー乗り場へ歩いてゆく。3月の夕方近くだと言うのに、気温は25℃を上回っているだろう。

 乗り場へつくまでにひと汗かいてしまった。

 はいているデニムのポケットの中の小銭をまさぐりながらフェリーボートに向き合う。

  ノースポイントから対岸のホンハムまで西に向かってフェリーボートは斜めに進み、そして景色を愛でる間も無くポンツーンに着岸する。


 上に羽織ってたシャツのボタンを全部外してチムサーチョイの街まで。

 おみくじ屋まではゆっくり歩いて20分。

 西風が首元に心地よく鼻歌のひとつでも出てきそうな夕暮れがチムサーチョイのビルの隙間から迫って来ている。


 

 おみくじを引いたら 賭け事望み叶わず とあっさり出た。

 今日は日が悪そうだ。

 おけらになってマカオの公園で野宿するのも気が引けたので、チムサーチョイで食事しておとなしくノースポイントの部屋まで帰る方針で行く事にひとまず落ち着いた。


 なぜか少し投げやりな気分で考えをめぐらしながらおみくじ屋を出ると、外は雨に変わっている。

 しまったな。傘なんて持っていないや。


 雨に濡れるにまかせて、ボクはナッツフォードテラスに向かう事にしたが雨足がまた強まったのでタクシーに乗り込んだ。

 数分ののちに着いたナッツフォードテラスのオープンな部分は雨に叩かれて人影はなく、外国人の客たちは店内で雨宿りの体裁なのである。


 どうしようか?

 リスボアのポーカーも今日はやめたしオープンテラスも今夜は仕舞いだな。


  外国人の観光客で賑わっている店たちを尻目に横道に入っていく。

 ここなら大丈夫だろう。

 ナッツフォードテラスの脇道にある寂れた店にボクは入った。薄暗い白熱灯が店主を薄ぼんやりとあぶり出していて、人懐こい笑顔で迎えられた。

 元々商船でコックをしていたジミーが開いたイタリアンレストラン。

 ナッツフォードテラスの明るさについ気を取られがちな中にあって、ジミーはカウンターだけの小さなこの店で17年も商売している。


 お腹も空いてるし、ボクはアペタイザーを飛ばしてボンゴレロッソと白ワインをオーダーした。


 ジミーは小柄だから、通い詰めの客からは愛着を持ってサンパン(小舟)と呼ばれている。

 サンパンが手際よく調理して、パスタとワインが同時に運ばれる。どこで採れたアサリか皆目見当がつかないが味は悪くない。


 ロニー  いい感じのムール貝が入ってるけど酒蒸しにしてどうだい?

 そんな具合でサンパンにすすめられるがままに素手で食べ始める。

 

 ひとしきりお腹もふくれてサンパンの振る舞いに満足していると、隣の席へユーリーがやって来た。

 ユーリーは元警官、元同僚で今はアシュレイロードの日本料理店を経営している。

 そのむかしユーリーの父親が乾物屋をしていたのを日本料理店に改装したらこれが当たったという具合だ。


 なぁロニー よかったらうちの店でゆっくり飲まないか?久しぶりに警察の話も聞きたいよ。どうだい?


 ぼくはアシュレイロードのユーリーの店へ行く事にした。帰りはタクシーで帰ってもいいし、ナイトシアターで朝まで映画を観たっていいだろう。

 

 ユーリーの運転するメルセデスに乗り込んでアシュレイロードに向かっていく。


 ユーリーはなにしにサンパンの店に来たんだ?

 そんなとりとめもない事を自問しながらネイザンロードの曲がり角。

 雨のやんだ とばりの中。

 

東京デジタルホンDP-111

特別お題「おもいでのケータイ」


 初めて自分でプライベートの携帯を持ったのは26歳の時だった。

 それまでは会社から貸与支給されていたIDOのハンディフォンをプライベートでも持ち歩いていたのだけど、基本は着信専用で自分でかけることはほとんどなかった。

 今と違って通話料がバカ高い時代だったから、臆面もなく会社の携帯を使いまくるのは気が引けたよ。と言うより会社から通話料の事でごちゃごちゃ言われたくない人は当時からみんなそうしていた。


 docomoIDOの2社だけだったところに、自由化から東京デジタルホンが参入してきて携帯電話の契約料がだいぶ下がったんだと思う。

 たしか、一番最初の契約料は7、8万だったかな?

あれ?もっと高かったか?

 とにかく当時は今と違って初期投資の金額が結構したんだと記憶している。

 実質0円とか言い出したのはずっと後の話だ。


初めて持った 二つ折りの携帯はずっしりと重く、そして貴重品のように大切に扱っていた。

 携帯を落とす  なんてもってのほかで、当時から今のiPhoneになるまで落とした回数が片手で足りるのはその頃の習慣が役立っているような気がするけど。


 そうして携帯を持つようになってから程なくして、会社員を辞めてフリーランスの頃があった。

 その時分が一番プライベートの携帯で通話した時代だった。 

 もともと電話があまり好きではない自分。

 今はさすがにそうは思わないが、その頃は電話で話すより直接会って話すことがなによりの礼節だと考えていて、電話、しかも携帯電話でちゃちゃっと用事を済ます人に嫌悪感すら抱いていたのだった。

 フリーランスの頃は身体が三つ四つ必要なくらい多忙だったので、携帯電話にはかなり助けてもらいました。ありがとうございます。


 しばらくしてまた会社員に戻って、会社から携帯電話を支給されてからは通話料もキャリア代も支払うのが馬鹿馬鹿しくなってプライベートで携帯を持つのはやめた。それが十数年続いた。

 

 自分でまた携帯  を持とうと思ったのは会社が支給してくれないスマートフォンが普及してきたからだ。iPhone4の出来の良さが決め手だったように思う。

  それからは会社以外でパソコンに向かう機会がめっきり減っていった。ふつうのネットサーフィンも(死語?)ネットショッピングもブログを書くのもiPhoneがあればそれで充分だし、会社で一日中モニターと睨めっこしているんだからプライベートでパソコンなんて見る気が起きない。

 ひとむかし前は会社のノートを自宅に持ち帰って仕事する、なんて事が出来たが、今はセキュリティの問題があるので宿泊出張以外でパソコンを会社から持ち出すなんて事もしない。てゆうかみだりに会社パソコンを自宅で使用してたら会社から怒られるしね。


 こないだiPhoneを新機種に変えたらオマケでタブレットが付いてきた。アンドロイドなのでyoutubeを大きく観たい時くらいしか使わないけど。


 こんな事を書くとアレな感じだけど、待ち合わせの時とか携帯が無い時代のほうがドキドキしてスリルがあったよね。 

 待ち合わせ場所に行ったけど結局会えなかった とかさ。別にデートに限った事じゃなくて仲間内の待ち合わせでもね。

 来ない人がどこかでトラブルに遭ってるんじゃないか?って心配したり。まぁ急に都合が悪くなったりとかしてさ、それで部屋に戻ってみると留守電が入っていて とかさ。

 携帯やスマホって言うのは確かに便利には違いないんだけどね。ただ、なんて言うか気持ちの切り替えを即座に求められる。使えば直ぐに文字通り話が済んじゃって先の楽しみってものがないような、そんな感じ。

 なにをそんなに急ぐ必要があるんだよ?って。

 電車内でも道歩きながらでもスマホ見ているのがいるけどさ。なにをそんなに慌てて知る必要があるんだよ?って。


 そんな感じで、仕事以外ではあんまりパソコンも携帯もスマホも便利に使用するもんじゃないなって思うんだけど、いまは無意識にiPhone見ちゃうからな。まぁ待ち合わせの時のそう言う情報の少なさから来るドキドキやスリルはノスタルジーなんだろうな。うーん…

 

 情報ツールって言うのは頼ったりすがったりしていると地力が無くなって行く。

 行動指針すらもそれに頼ったり、情報をしきりに仕入れたりしているうちに肝心な『ソースはオレ』って言う地力や自信が劣っていく。

  情報ツールがカバーしきれないものを数多く体内に持ち合わせている人がやっぱり魅力的だなって言うのがわたしの感じているところです。

 人間ってやっぱり弱いから権威付けされたものの真似、模倣しちゃうでしょ。それを基準にして用意したり準備しちゃうじゃない。

 

 そんなものよりさ、自分の直感とかあとは現場に行ってから考えるって習慣の方が大切だと思うけどね。それでなにが起きても自分の力の範疇で対応可能な人がやっぱり素晴らしいよ。

 そう言う根っこのとこは忘れちゃいけねーんじゃないかと 考える訳です。

 そんな生き方のほうが楽しい、本物なんじゃないかって。

 

 

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ノースポイントからサムスイポーへアンプを買いに行く

 海底トンネルを抜けて、

ネイザンロードを走っていく。


 横に長い看板に視線を取られながら、

生暖かい風を感じて街を通り抜けて行く。


 サムスイポーの外れにルノー カングーを止めて

電気街へボクは消えて行く。


 遅いランチに魚のフライとサラダを食べた。

 チンタオが少し気が抜けてまずい。


 行きつけのオーディオショップでアンプの具合を見ていた。

 真空管は見知らぬ文字のロシア製。


 店の主人が、スピーカーケーブルを変えて聴かせてくれた。

 どうだい?アコースティックならこっちのケーブルを勧めるけど とかなんとか。


 ひまな主人を相手に2時間も油を売りながらアンプとスピーカーのセットを試した。


 主人はケーブルなら三軒先のショップの方が安いと言いながら店の外を指差した。

 しばらく今のセットとケーブルを試してみたら?

 

 商売っ気のない店なんだよな。


 結局ケーブルを行きつけの店から三軒先のショップで買っただけでサムスイポーを後にした。


 それからボクはノースポイントの部屋には帰らずにアバディーンまでルノー カングーを走らせた。


 アバディーンのサンパンを見ながら

右手に夕陽が沈んでいく。

 ジャンクに乗った漁民が洗濯物を取り込んでいる。


 今夜から雨が何日か続くみたい。

 憂鬱だな。


 部屋に帰る前にセントラルのソーホーで半袖のシャツを2枚選んで買った。

 雨が止んだら暑い日が毎日続くだろう。


 ボクは香港の警官。


 国が一つとか二つとか

難しいことはボクには分からない。

 大人になったら違う国旗が一緒に上がるようになっただけ。

 ここ香港に暮らすボクになにも変わりはない。


 小さな島に産まれ、暮らしている。

 明日またあたらしい命も産まれる。


 この小さな島で この小さな島で。

 おやすみなさい。

 

1日映画の日にラ・ラ・ランド

 惜しくもオスカー作品賞を逃したラ・ラ・ランドを観てきました。


 今日は映画の日で1,100円で観られるのですが、それにしてもすし詰め満員の映画館は久しぶり。

 ちょっとスクリーンが近いかなって感じの席で音も立てずに行儀よく観賞しましたよ。

 アメリカの映画館だったらノリノリな盛り上がりのシーンも日本ではとっても静かでスクリーンと音声に集中出来ました。


 ネタバレするとなんなのであまり感想は書きませんが、ラストに向けての二人のアナザーストーリーが泣けた。

 ほろっとじゃなくて本当に涙がポロポロ流れてしまいました。

 アナザーストーリーは、観賞者の心の中の代弁のような、こうあって欲しかったって言うのを短時間でフラッシュバックして行きます。

 なんて言うか一作で二作分の感動、美味しさって言うんでしょうか。


 ああ 映画ってやっぱりいいな。

 それにしても映画を観ていて泣いたのっていつだっただろうか。ハチ公物語は泣いたな。

ノッティングヒルでも泣いたな。

砲艦サンパブロの虚無感でも泣いたな。

 ベルリン 天使の詩モノクロームからカラーに変わるシーンもほろっと来たな。


 暗闇の映画館の座席で誰にも気付かれずに泣くのは気分がいい。

 ラ・ラ・ランド いいですよ。

 ほろ苦い大人の映画です。


 

人の中にある記憶

 先日定期的に歯の具合を診てもらっている歯科医院に行った時のこと。

 異常は特に見つからず、ガリガリスリスリとクリーニングだけしてもらいました。


 施術が終わって支払いを済ました際に、受付にいた歯科衛生士の女の子から突然たずねられました。?

 ワンちゃん元気ですか?

 

 わたしは少しの間の沈黙の後に、ララが昨年の正月5日に亡くなった事を説明を交えながら話したのだった。

 それは淋しいですね   と返す言葉を失いつつも、歯科衛生士さんは声を続けた。


 さて彼女にララの事を話したのいつの頃だっただろうか。たぶん一昨年前の夏にララが腺がんの手術から生還した頃の話だろう。

  それから何度もこの歯科医院には来ているし、彼女にも何回か会っているはずなんだが。


 その歯科衛生士さんの彼女の中ではララはその時まで生きていることになっていて、その日のわたしの言葉から突如としてララが死んだ事を彼女は知ったのだった。


 人の中にある記憶は、こうしてある日突然修正を余儀なくされることがある。


 あの人、あいつ、あの子、今どうしてる?

と言う問いは考えてみると少しこわいし、ある人の答えの具合によっては淋しい心持ちになることもある。


 全く変わらずに、と言うことが貴重でいかに幸せな事なのか。

 前に何も起こらないで平和な事がいちばんいいって書いたけれど、それは自分のためでもあるし自分の周りの人のためでもあるようだ。


 しょっちゅう会ったり連絡を取っていたりしている関係以外では、その人や自分のそれからの話がない。会った日、連絡取り合った時で記憶は止まる。もちろんそれを憶えている、忘れないってことが前提の話なんだけど。


 歯科衛生士さんの彼女がララの事を、そんな2年近く前の話を憶えていたのは。わたしがその時いかに不安な心持ちでララの術後を話していたかが分かる。

 どうせ口を開いて人に話をするのなら、相手の人に自分の気持ちが伝わるように話して行くべきなんだと考えてしまった。

 今回の出来事ではララの事を憶えていてくれて、ありがとうって気持ちになりました。


 それとは逆に、たとえば綺麗な思い出を封印したいのなら会わないほうがいいって人がいるのも事実なんだけどな。

 何年も経ったあとに、実はあの時ほんとうはこうだったんだよね なんて自分の記憶を逆撫でされるとつらい。会わないほうが知らないほうが幸せっだったって事からわたしは出来るだけ避けていたいほうの人間なんだなって。

 

 それを現実逃避型って言われちゃうと悲しいかな。


 野生って自分を憐れんだりしない。

 ララも自分が死ぬことへの恐怖なんか微塵も感じさせなかった。

 そう考えると人間ってやっぱり弱いなって自覚してしまう。


 だいぶ話が脱線して来たので、この辺で。

ジェノヴァからイタリアンリヴィエラ ニース カンヌ

 旅程を考えていたらジェノヴァ行きのターキッシュの格安チケットが見つかったので早速申し込んだら、売切れと言うことでアリタリア便の普通の奴を案内された。

 ターキッシュ便が本当に有ったか疑わしい客寄せ広告メールのような気がしたが、丁重にアリタリア便はお断りしたのだった。


 イタリアンリヴィエラからニース カンヌを見て回るには、ジェノヴァ行きの便はとても捨て難い。

 フィレンツェにもミラノに出るにも便利だし、要は国際免許を引っ提げてレンタカーをぶっ飛ばす度胸勝負の旅だ。

 

 ちなみにジェノヴァ行きのターキッシュ便は57,000円と言う破格値で、アリタリア便は148,000円と言うよくありげな価格だった。


 ヨーロッパは本当はもういいかな?って気になっているので、今は本当はニューヨークに行きたい。

 タイムズスクエアあたりで日がなブラつくのもよし、セントラルパークでホットドッグにかぶりつきながら読書するのもよし。

 リッチモンドまで足を伸ばしでウォルター・ヒルの世界に浸るもよし。

 今日からロードショーのLA LA LANDの世界に浸るならロスアンゼルスに行ってみるのもいいだろう。

 きっと何かが生まれるはずさ。


 むかし若い時は上にあがることこそが生きる糧になると信じて疑わない自分を意識していたんだけれども。

 今は忘れ難い深い思い出や、年賀状をなんとわなしにやりとりしてる人びととの交流が愛しい。


 またへんな流れになりそうだからここいらでやめておこう。

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南風が吹いても彦根に残雪

 テレビで彦根の町の様子が流れていたのですが、琵琶湖畔の彼の地は雪に覆われていて、ふと自分のヨットが気になりました。


 ああ、近江牛のすき焼きを美味しい日本酒とともにたらふく頂きたい夜です。

 明日からはまた気温も下がり、山間部では荒れた天気になるようです。

 外出の時はまだまだ厚着が必要ですね。


 しばらくブログを放置するとなに書いたらいいのか分からなくなりますが、なに書いてもいいんだと思い直しているところです。


 3月になったら、どこか遠く遠くに行きたい。

 景色や景観、まち行く人を眺めて、夜にはお酒を飲んで。自分をかえりみたい。


 やっぱり愛犬だったララを亡くして、毎日考えざるをえません。

 転勤と長期出張の連続だった生活。

 ララはそれに全部随伴してくれた。

 長かったな。

 生きて行く道は長い。これからも。

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 スマホをiPhone7plusに変えました。

 画面が大きくて目に優しいと思います。

 それまで5Sのサイズが気に入っていたのに勝手なものです。

 勝手なやつと 笑ってくれよ。

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