或る光栄

In case of die.

ブログに綴っている内容は勤務する企業とはいずれの関わりもありません

香港 ホテルパノラマ バイ ロンバス

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 朝4時起きで9時過ぎの香港航空の便で香港に入りました。なぜかとても疲れました。

 ホテルでキレッキレの英語を喋って、最高の部屋をリクエストしたら本当に最高の37階クラブハーバービュールームと言うところに案内されました。

 日頃の映画鑑賞が役に立ちましたよ。

 

 前夜あまり眠れなかったのと、自分が高いところ苦手だったことを忘れていて足元がふらふら落ち着きません。

 

 

 天気はあまりいい予報じゃなかったのですが晴れています。気温は26℃ですこし蒸してますが部屋の中は寒いくらいにエアコンが効いてますね。


 39階のクラブルームでお茶してから香港島に渡ってみます。

 日がな一日中ホテルから対岸を眺めててもいいぐらいですが、時間の許す限り街をぶらつきたいと考えています。


 今はそんな具合です。

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前夜

 明日からちょっとだけ旅に出て来ます。


 明朝は早いのでもう寝なくちゃいけないのですが、なんだか遠足前の小学生みたいに興奮して寝つけませんね。


 気候がすこし違う場所に行くので、なにを着て行くかまだぐすぐす考えています。

 ここ数日の日和に油断して薄着していって、帰って来たら寒い思いするのはちょっとやだな。

 

 飛行機が落ちたらどうしようか?


 まだそんな事を考えながら寝台で寝返り打っています。


四時起きだ。 おやすみなさい

レパルスの海でボーッとする

 要人警護の仕事が終わった日は、珍しく署内で打ち上げがあった。

 日本式のカラオケパブが会場になって、ボクもおだてられるがままにスキヤキを歌ったりしていつになくリラックスして過ごしたのだった。


 その店のメニューポップが広東語で書かれていたのだけど、つづりがおかしくて途中から打ち上げどころじゃないぐらい気になって気になって仕方がなかった。

 たとえば、

みなさんとびきりの日本食を楽しんでください     

って本当は書きたいのだろうが

わたしは飛び乗って日本式の食事を楽しみました

と言った具合にずいぶんな感じだった。

 

 打ち上げをさておき我慢出来なくなったボクは店のマネージャーに少し酔ったフリをして間違いを指摘した。シラフでこんな事してるとバカだと思われそうなので、酔ったフリをしたままマネージャーにポップ紙とサインペンを持ってこさせてそのままガリガリと広東語でメニューポップを書いてやった。

 マネージャーはネパール人だったようで、恐縮した様子を見せながらナマステとアリガトゴザイマシタを繰り返した。

 

 署内の仲間連中はそんな様子を見ながらもカラオケに余念がなく合いの手を入れたりタンバリンを叩きながらボクの顔にサインペンで落書きする真似をしている。

 本土から研修で来ている女の子はやはり広東語が苦手らしく、あとからちょうどいいとばかりに紙とペンで北京語との違いを質問して来た。


 そうして2時間半ばかりの打ち上げをしてその日は解散になったが、せっかくの打ち上げで禁酒を強いられた夜勤組はそのまま署に戻っていったのだった。


 

 数日後、ボクはスタンレーで開かれる祭りの警備打ち合わせに応援で駆り出された。当日は配備されないからいわば会議の人数合わせ要員なのだ。

 そんな仕事と呼んでいいのか分からない任務の帰り、レパルスベイに寄り道した。


 3月で季節にはいくぶん早いが、ひと気の少ない今の時期に見る白い波間がなんとも言えずに心を落ち着かせる。

 この白い砂は遠く南仏あたりから運ばれて来たのだろうか?

 ここ香港に初めて出現した人口の浜だ。

 欧州人の有産階級が自分たちの為に開いた。

 ただ今はもうそんな事はなく、庶民層が誰でも楽しめる砂浜に変わった。


 香港で少し開けた場所は少なからず歴史のいわれのようなものがある。

 それを少しも悲しいとは思わないけれど、そう言った場所に来たとき歴史を振り返り考えずにはいられない。

 

 そんな物思いにふける時に、自分はどんな顔をしているのだろう。

 きっとつまらない顔している。

 そう オレはつまらない男なのさ

と、フッとため息が流れる。

君を水面に映していたレパルスの海。


ビクトリアピークで要人警護する

 ここ一週間と言うもの、本土からの要人が視察に来るとの件で対策会議に追われている


 ボクは香港警察の警備課で働いているから、年に一度有るか無いかの繁忙にちょっとばかり嫌気がさしている

 いまは中国の特別行政区である香港で生まれた身にとって、2000年を前にした返還は迷惑この上ない出来事だった


 そんな忙しい生活の中にありながらマカオのリスボア通いは言うに及ばず、ギアサーキットで開催されるインターナショナルレースにエントリーしてメルコヘアピンを駆け上がったりと私生活は割と充実していたのだった


 雨が降ったり止んだりの3月下旬、本土から来る要人がビクトリアピークに上がりたいとそのスケジュールを香港に発信した


 なんだい、視察って言ったって結局はメシ食って観光地を回る物見遊山じゃないか

 なにが食いたいんだ?広東料理か?四川料理か?それとも客家料理か?香港にはなんでもあるんだぜ


 なんならガイドブックでも送りつけてやろうか?

そんな具合でささくれ立った数日間を過ごしている



 係長から指令があって、ボクはビクトリアピークの要人視察警護にあたる事になった。

 ビクトリアピークには毎日海外からの観光客が鈴なりでピークトラムに列をなしている

 

 要人ならピークトラムに乗せる事なく自動車でピークに行く事は可能なのだが

  いずれにしてもこちらでプランを練って早急に本土の要人サイドと調整する必要がある


 そこまで考えて、警備課から殺人課へ異動願いを出したくなるくらい辟易するよ


 

 要人はかなりの高齢らしく、27度の傾斜を上がっていくトラム行には難色を示して来た

 そのひっくり返りそうな斜面をゆっくり上がっていくのがビクトリアピーク観光の醍醐味だろうが


 要人なんて言ったっててんでわかっちゃねーや


 ボクはその報告をノースポイントの部屋で一杯やりながら爪を切っている時に聞かされた


 むしょうにマンゴーのスイーツが欲しくなって、晩酌を切り上げてセントラルまでの地下鉄に飛び乗っていた

ナッツフォードテラスからアシュレイロードへはしごする

 夜勤明けのボクは午後3時頃に目を覚ました。

 まとわりつくような湿気で汗にまみれた身体を寝起きのシャワーでしっかりとさせる。


 明日は非番だ。

 マカオのリスボアあたりでポーカーに興じるのも悪くないな と考えたのち、チムサーチョイのいつものおみくじで運試ししてから向かうことにした。


 ノースポイントの部屋からフェリー乗り場へ歩いてゆく。3月の夕方近くだと言うのに、気温は25℃を上回っているだろう。

 乗り場へつくまでにひと汗かいてしまった。

 はいているデニムのポケットの中の小銭をまさぐりながらフェリーボートに向き合う。

  ノースポイントから対岸のホンハムまで西に向かってフェリーボートは斜めに進み、そして景色を愛でる間も無くポンツーンに着岸する。


 上に羽織ってたシャツのボタンを全部外してチムサーチョイの街まで。

 おみくじ屋まではゆっくり歩いて20分。

 西風が首元に心地よく鼻歌のひとつでも出てきそうな夕暮れがチムサーチョイのビルの隙間から迫って来ている。


 

 おみくじを引いたら 賭け事望み叶わず とあっさり出た。

 今日は日が悪そうだ。

 おけらになってマカオの公園で野宿するのも気が引けたので、チムサーチョイで食事しておとなしくノースポイントの部屋まで帰る方針で行く事にひとまず落ち着いた。


 なぜか少し投げやりな気分で考えをめぐらしながらおみくじ屋を出ると、外は雨に変わっている。

 しまったな。傘なんて持っていないや。


 雨に濡れるにまかせて、ボクはナッツフォードテラスに向かう事にしたが雨足がまた強まったのでタクシーに乗り込んだ。

 数分ののちに着いたナッツフォードテラスのオープンな部分は雨に叩かれて人影はなく、外国人の客たちは店内で雨宿りの体裁なのである。


 どうしようか?

 リスボアのポーカーも今日はやめたしオープンテラスも今夜は仕舞いだな。


  外国人の観光客で賑わっている店たちを尻目に横道に入っていく。

 ここなら大丈夫だろう。

 ナッツフォードテラスの脇道にある寂れた店にボクは入った。薄暗い白熱灯が店主を薄ぼんやりとあぶり出していて、人懐こい笑顔で迎えられた。

 元々商船でコックをしていたジミーが開いたイタリアンレストラン。

 ナッツフォードテラスの明るさについ気を取られがちな中にあって、ジミーはカウンターだけの小さなこの店で17年も商売している。


 お腹も空いてるし、ボクはアペタイザーを飛ばしてボンゴレロッソと白ワインをオーダーした。


 ジミーは小柄だから、通い詰めの客からは愛着を持ってサンパン(小舟)と呼ばれている。

 サンパンが手際よく調理して、パスタとワインが同時に運ばれる。どこで採れたアサリか皆目見当がつかないが味は悪くない。


 ロニー  いい感じのムール貝が入ってるけど酒蒸しにしてどうだい?

 そんな具合でサンパンにすすめられるがままに素手で食べ始める。

 

 ひとしきりお腹もふくれてサンパンの振る舞いに満足していると、隣の席へユーリーがやって来た。

 ユーリーは元警官、元同僚で今はアシュレイロードの日本料理店を経営している。

 そのむかしユーリーの父親が乾物屋をしていたのを日本料理店に改装したらこれが当たったという具合だ。


 なぁロニー よかったらうちの店でゆっくり飲まないか?久しぶりに警察の話も聞きたいよ。どうだい?


 ぼくはアシュレイロードのユーリーの店へ行く事にした。帰りはタクシーで帰ってもいいし、ナイトシアターで朝まで映画を観たっていいだろう。

 

 ユーリーの運転するメルセデスに乗り込んでアシュレイロードに向かっていく。


 ユーリーはなにしにサンパンの店に来たんだ?

 そんなとりとめもない事を自問しながらネイザンロードの曲がり角。

 雨のやんだ とばりの中。

 

東京デジタルホンDP-111

特別お題「おもいでのケータイ」


 初めて自分でプライベートの携帯を持ったのは26歳の時だった。

 それまでは会社から貸与支給されていたIDOのハンディフォンをプライベートでも持ち歩いていたのだけど、基本は着信専用で自分でかけることはほとんどなかった。

 今と違って通話料がバカ高い時代だったから、臆面もなく会社の携帯を使いまくるのは気が引けたよ。と言うより会社から通話料の事でごちゃごちゃ言われたくない人は当時からみんなそうしていた。


 docomoIDOの2社だけだったところに、自由化から東京デジタルホンが参入してきて携帯電話の契約料がだいぶ下がったんだと思う。

 たしか、一番最初の契約料は7、8万だったかな?

あれ?もっと高かったか?

 とにかく当時は今と違って初期投資の金額が結構したんだと記憶している。

 実質0円とか言い出したのはずっと後の話だ。


初めて持った 二つ折りの携帯はずっしりと重く、そして貴重品のように大切に扱っていた。

 携帯を落とす  なんてもってのほかで、当時から今のiPhoneになるまで落とした回数が片手で足りるのはその頃の習慣が役立っているような気がするけど。


 そうして携帯を持つようになってから程なくして、会社員を辞めてフリーランスの頃があった。

 その時分が一番プライベートの携帯で通話した時代だった。 

 もともと電話があまり好きではない自分。

 今はさすがにそうは思わないが、その頃は電話で話すより直接会って話すことがなによりの礼節だと考えていて、電話、しかも携帯電話でちゃちゃっと用事を済ます人に嫌悪感すら抱いていたのだった。

 フリーランスの頃は身体が三つ四つ必要なくらい多忙だったので、携帯電話にはかなり助けてもらいました。ありがとうございます。


 しばらくしてまた会社員に戻って、会社から携帯電話を支給されてからは通話料もキャリア代も支払うのが馬鹿馬鹿しくなってプライベートで携帯を持つのはやめた。それが十数年続いた。

 

 自分でまた携帯  を持とうと思ったのは会社が支給してくれないスマートフォンが普及してきたからだ。iPhone4の出来の良さが決め手だったように思う。

  それからは会社以外でパソコンに向かう機会がめっきり減っていった。ふつうのネットサーフィンも(死語?)ネットショッピングもブログを書くのもiPhoneがあればそれで充分だし、会社で一日中モニターと睨めっこしているんだからプライベートでパソコンなんて見る気が起きない。

 ひとむかし前は会社のノートを自宅に持ち帰って仕事する、なんて事が出来たが、今はセキュリティの問題があるので宿泊出張以外でパソコンを会社から持ち出すなんて事もしない。てゆうかみだりに会社パソコンを自宅で使用してたら会社から怒られるしね。


 こないだiPhoneを新機種に変えたらオマケでタブレットが付いてきた。アンドロイドなのでyoutubeを大きく観たい時くらいしか使わないけど。


 こんな事を書くとアレな感じだけど、待ち合わせの時とか携帯が無い時代のほうがドキドキしてスリルがあったよね。 

 待ち合わせ場所に行ったけど結局会えなかった とかさ。別にデートに限った事じゃなくて仲間内の待ち合わせでもね。

 来ない人がどこかでトラブルに遭ってるんじゃないか?って心配したり。まぁ急に都合が悪くなったりとかしてさ、それで部屋に戻ってみると留守電が入っていて とかさ。

 携帯やスマホって言うのは確かに便利には違いないんだけどね。ただ、なんて言うか気持ちの切り替えを即座に求められる。使えば直ぐに文字通り話が済んじゃって先の楽しみってものがないような、そんな感じ。

 なにをそんなに急ぐ必要があるんだよ?って。

 電車内でも道歩きながらでもスマホ見ているのがいるけどさ。なにをそんなに慌てて知る必要があるんだよ?って。


 そんな感じで、仕事以外ではあんまりパソコンも携帯もスマホも便利に使用するもんじゃないなって思うんだけど、いまは無意識にiPhone見ちゃうからな。まぁ待ち合わせの時のそう言う情報の少なさから来るドキドキやスリルはノスタルジーなんだろうな。うーん…

 

 情報ツールって言うのは頼ったりすがったりしていると地力が無くなって行く。

 行動指針すらもそれに頼ったり、情報をしきりに仕入れたりしているうちに肝心な『ソースはオレ』って言う地力や自信が劣っていく。

  情報ツールがカバーしきれないものを数多く体内に持ち合わせている人がやっぱり魅力的だなって言うのがわたしの感じているところです。

 人間ってやっぱり弱いから権威付けされたものの真似、模倣しちゃうでしょ。それを基準にして用意したり準備しちゃうじゃない。

 

 そんなものよりさ、自分の直感とかあとは現場に行ってから考えるって習慣の方が大切だと思うけどね。それでなにが起きても自分の力の範疇で対応可能な人がやっぱり素晴らしいよ。

 そう言う根っこのとこは忘れちゃいけねーんじゃないかと 考える訳です。

 そんな生き方のほうが楽しい、本物なんじゃないかって。

 

 

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ノースポイントからサムスイポーへアンプを買いに行く

 海底トンネルを抜けて、

ネイザンロードを走っていく。


 横に長い看板に視線を取られながら、

生暖かい風を感じて街を通り抜けて行く。


 サムスイポーの外れにルノー カングーを止めて

電気街へボクは消えて行く。


 遅いランチに魚のフライとサラダを食べた。

 チンタオが少し気が抜けてまずい。


 行きつけのオーディオショップでアンプの具合を見ていた。

 真空管は見知らぬ文字のロシア製。


 店の主人が、スピーカーケーブルを変えて聴かせてくれた。

 どうだい?アコースティックならこっちのケーブルを勧めるけど とかなんとか。


 ひまな主人を相手に2時間も油を売りながらアンプとスピーカーのセットを試した。


 主人はケーブルなら三軒先のショップの方が安いと言いながら店の外を指差した。

 しばらく今のセットとケーブルを試してみたら?

 

 商売っ気のない店なんだよな。


 結局ケーブルを行きつけの店から三軒先のショップで買っただけでサムスイポーを後にした。


 それからボクはノースポイントの部屋には帰らずにアバディーンまでルノー カングーを走らせた。


 アバディーンのサンパンを見ながら

右手に夕陽が沈んでいく。

 ジャンクに乗った漁民が洗濯物を取り込んでいる。


 今夜から雨が何日か続くみたい。

 憂鬱だな。


 部屋に帰る前にセントラルのソーホーで半袖のシャツを2枚選んで買った。

 雨が止んだら暑い日が毎日続くだろう。


 ボクは香港の警官。


 国が一つとか二つとか

難しいことはボクには分からない。

 大人になったら違う国旗が一緒に上がるようになっただけ。

 ここ香港に暮らすボクになにも変わりはない。


 小さな島に産まれ、暮らしている。

 明日またあたらしい命も産まれる。


 この小さな島で この小さな島で。

 おやすみなさい。

 

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