或る光栄

In case of die.

ブログに綴っている内容は勤務する企業とはいずれの関わりもありません

にわか雨の香港行

 3月の下旬、30年近く前に渡った香港・マカオにもう一度行ってみた。

 30年前のその頃の香港は英領で中国はまだ貧しく、GDPで世界2位、バブルに沸く日本にあって香港と言う国はブランド品を買い漁ってお金を落とす国のひとつに違いなかった。

 中国人や他のアジアの国からの観光客の姿はほとんど見当たらず、日本人だけが欧米からの観光客に混じって繁華な街や観光地を闊歩していた。

 当時は日本語のガイドが今より目立って活動していたから会話に困ることも無かったし、旅行と言えば団体で添乗員つきと言うのがお決まりのパックであったから現代とはだいぶ様相が異なる。


 これから香港へ旅する人がまず知らなくてはならないのは、現代の香港の豊かさだ。貧富の差は日本のそれより大きい事はまず間違いないが、GDPで言えば香港民は日本の1.4倍程度稼いでいる。

 少し繁華街を歩けばハイブランドのロードサイドショップは日本をはるかに凌ぐ数を誇るし、街行く自動車だって高級なヨーロッパ車がひっきりなしに通過していく。

 むかしいた観光地の物乞いや土産売りの子どもらも姿を見ない。

 ホテルだってちょいと高級なところの料金は日本より高い。だいたい日本のビジネスホテル並みのサービス・ホスピタリティよりか劣っていたとしても日本より高いのだ。

 ホテルの質が上がらなくて料金だけが高くなったのは、中国本土からの観光客が金をばら撒くようになった2005年ぐらいからだとしてまず間違いないだろう。

 

 よって中国本土からの観光客に混じって日本人の矜持を維持していくように振る舞うと、まず散財してしまう事になる。

 やつらは金を持っている、と諦めて賢く振る舞うのが今の日本人らしいとボクは思うのだ。

 沢木耕太郎深夜特急で香港・マカオを旅したのが約40年前になる。バックパックの旅で大いに節約の安宿暮らしは今の若者が真似出来るのか?って考えてみるとかなり怪しい。

 深夜特急は雰囲気だけ味わえれば、それでいいんじゃないか。


 今回ホテルだけは綺麗な夜景が見たくて、高層階のハーバービュールームにこだわっては見たのだけれど、最上階にあるクラブラウンジも専用のレストランも自分には贅沢過ぎて落ち着けなかった。

 普段質素だが自分にとって過不足ないと定めた暮らしをしている身にとって、香港で地に足のつかない贅沢をしてもダメなのだ。やり慣れない事を異国でするのだから、余計に浮き足立ってしまった訳で、なんとなく  自分はいったい何やってるんだろうな?と言う感じになった。

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37階ホテル客室から


 食事、朝はホテルの専用ビュッフェ、昼夜は食べ過ぎないようにわざと抜いたり、どこか近所の地元民が行く食堂やレストランを探して入るのだけど、地元民が行く食堂って言うのは結構分かりづらいんだよね。ビールが置いてなくて、よくよく知るに至ったのはそのような地元民が行く食堂はあくまで食べるところでお酒の類は置いてないと言う事。日本の飲食店ならまずビールぐらいは少なくとも置いているのでこれはびっくりした。それにその地元民が行く食堂で出された水の味がかなり衝撃だった。水道の蛇口をひねってコップに注ぐだけ。ひとくち恐る恐る舐めたら苦いし口の中が痺れて来るしで散々なものだったのだ。

 それで日本より安いか?ってーと安くはない。

 お酒を出すレストランは日本より高いしおまけにチップも取ります。

 まぁ30年前の時は飯や酒の類は誰かさん持ちの大名旅行だったので、飲食の物価なんて気にしたことはなかったからね。

 日本よりGDPで稼いでいる国は、飲み食事の代金は日本より安いことはないです。美味しいものは当然に日本と同じか、より高い料金を支払わないとなりません。


 日本より安いもの、それは公共交通機関だけですね。 バス、タクシー、MTRと呼ばれる地下鉄。

 マカオ往復するターボジェットはエコノミーで4,000円くらい。

 これは安いんだか高いんだか…

 まぁバスは安いですかね。

 タクシーも初乗りで22HKDだからまぁ安いですよね。


 わたしはバスとタクシー、スターフェリーは安いから好んで利用してました。


 こうやっていろんなこと書いたんですが、今の日本の若い人には香港・マカオよりベトナムホーチミンハノイに行ってもらいたいよね。

 わたしがベトナムに渡ったのがやはり30年ぐらい前と15年前なんだけどさ。香港ほどは中国人観光客に毒されてはいない。まぁベトナムは中国とは仲悪いからね。発展もゆるやか。

 日本がODAで空港開発したって言うのも割合と親日派が増えて来てる。15年前に渡った時ですら、地元の女の子は日本て国や日本人を知らなかったからね。


 まあ次にアジア渡るとしたらハロン湾ハノイに行くのかなって考えてます。 自分はホーチミン、ニャチャンにしか行ったことがないので。


 いまは そんな具合です。


 にわか雨で目が覚めてしまいました。

 おやすみなさい。

 

絶望の逃避行 裂けて海峡

 裂けて海峡 志水辰夫


 物語は1980年代初頭を背景としている。

43歳のわたし長尾知巳は暴力団との些細ないさかいが元で2名の殺人を横浜で犯し2年服役していた。さなか、経営していた海運会社がただ一隻所有していた貨物船が実弟以下6名の乗組員とともに行方知れずとなる。

 海上保安庁の慎重な捜索・捜査の結果大隅半島沖合での海難事故と結論づけされる中、出獄したわたしは鹿児島県大隅半島中浦を最後の地と定めて事故遺族へのお詫び行脚をしてまわる。


 中浦ではまだ一度も会う事なく死亡した社員榊原功の遺族、婚約者との交流がある中で、中浦近くの外浜で特攻艇震洋の部隊員であった老人花岡康四郎と出会う。花岡は事故が起きたとされる晩に沖合20キロ付近から火柱が上がっていたとわたしに告げるのだった。

 わたしは自分の船がどのようにして海に没したのか、真実を求めてやまずにもう少し中浦に逗留しながら調べる事にした。


 そうして幾日か過ごしているうちに、東京から加納理恵が訪ねて来る。理恵はわたしが自分の会社を興す前に勤務していた加納海運社長の忘れ形見であり、理恵が幼き頃から兄妹のように慕い合う間柄だったが、ひそかに恋慕の情を抱いていたのも紛れも無い事実であった。

 理恵が東京から来た数日後、わたしが犯した殺人事件で面子をつぶされた暴力団が徒党を組んで中浦に追っ手をさし向けて来た。

 機転を利かして追っ手をなんとか巻いたのだが、不可解な出来事をきっかけに船の沈没がただの海難事故ではない事に気づかされて行くのだった。


 榊原功の婚約者冴子を小倉まで訪ねていくわたしは、死んだと思われていた榊原功を発見するとともに自分の船や実弟が国家的な謀略により抹殺された事を知らされるのだ。


 わたし長尾知巳と花岡老人、理恵を巻き込んで3人対国家の戦いの日々が苛烈に始まった。




 と、ラストは読んでから、シミタツ節をじっくり味わっていただくとして、ザッとあらすじはこんな具合です。


 わたし長尾知巳は昭和30年台なかごろには加納海運に就職しているので、戦前生まれ、さらに言えば志水辰夫さんが終戦時に国民学校三年生であった事実から志水さんの実体験を色濃く投影した主人公と言うことになりますね。(長尾は志水さんよりは歳下の設定にはなるが)

 物語としては、主人公が国家に追いつめられるシーンがとてもスリリングで疾走感があり面白いです。主人公にとって守るべき大切な存在がことごとく国家によって虫けらのように死に追いやられて行く描写が続き、普通であればしんみりするところだがそんな気持ちを想起しないで済むほど危機的状況が連続します。


 主人公が呵責に苛まれながら絶望的な戦いに身を投じて行く姿がシミタツ節と呼ばれる叙情にあふれた描写で渾身の一作です。


 シミタツ節的な作品は主人公が自分に優しくありません。いま割合と自己愛を肯定的に描く小説作品が多いと感じますが、シミタツ節にはそんなものは微塵もありません。マゾなんじゃないかと思うほどに主人公は自己を精神的肉体的にいじめぬきます。追いつめます。

 そうやって過ごすうちに、なにやらそのご褒美であるかのように、些少ながら微々たる好転が訪れたりします。

 

 空腹も一刻、ならば満腹も一刻として逃避行のさなか飢えに耐えるシーンが印象的です。

 それはいわば志水さんたち世代の豊かさへの警鐘であり、価値観のよすがであるように思います。


 なにぶん初出が1983年と言う古い作品になります。わたしは志水辰夫さんに愛着を持っていますので作品自体の背景がやや時代がかったものなど気になりませんが。

 クライムノベル、冒険小説、ハードボイルドと言うジャンル自体が無くなってしまう中で、こうした古い名著をまた引っ張り出して来て若い人たちにも読んでみて貰いたいなと思います。


 そんな具合です。

 

 

寝て曜日 深夜特急

 この土日は天気がいまひとつと言うことも手伝い、咳の続く体調を気遣って養生につとめました。


 寝て曜日と決め込んだ土日は買いためていた文庫を数冊か読む。

 ソファーでコーヒーを飲みながら、夜はビールを少しだけあおりながら。


深夜特急1  香港・マカオ』沢木耕太郎


 初出が1986年になるので、沢木耕太郎が実際に香港・マカオを旅したのはそれよりも5年も前の事になるんだろう。

 旅人のバイブルと呼ばれる深夜特急なのだが、実用性や情報性は今となってはかなり怪しい。通貨レートもだいぶ異なるし観光地ともてはやされた場所についても今とはだいぶ異なります。

 ただ、読み物としての出来栄え、叙情は捨てがたい魅力にあふれていて、わたしも今回の30年ぶりの香港行は多分に深夜特急にインスパイアされたものになりました。

 30年前のそれは、取引先の企業慰安旅行に潜り込ませていただいたものであり、ただ人についていったものだから旅とは言えないものでしたね。


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 重慶大厦 チョンキンマンション

 香港九龍の目抜き通りネイザンロードのチムサーチョイの賑わいにある雑居ビル。

 この中には貧乏なバックパッカー向きの簡易宿泊所ゲストハウスが無数に点在していて、テレビ版の深夜特急でも描かれていました。

 今回の旅では重慶大厦の両替屋さんにはお世話になりましたが、世界中からやって来るバックパッカーに混じってゲストハウス、ドミトリールームに宿泊する気にはなれませんでしたね。 

 それは今だからそう考えるのか?と言うより、バイクツーリングで各地を回って旅した若き日でも当時流行っていたユースホステルめぐりには興味を示さなかったので、旅先で似たような目的或いは似た境遇の若者の輪に入って行くことに嫌悪を持っていたんだと思う。

 つまり若き日も今も、自分が個の存在である事を何故か強く意識していると言う事なんだろう。

 それから多くの人に交わってそこの部分が変わったか?幸か不幸かそれはついぞ変わる事は無かった。

 その代わりに自分でやれる範囲の旅を自分の責任の範疇で楽しんで来たし、人に惑わされることなく判断して過ごす事が出来ている。

 若い時も今も、自分を人様から変に弄られるのは嫌だしね。


 重慶大厦は映画チョンキンエクスプレス邦題『恋する惑星』でも描かれました。現代の重慶大厦にはチョンキンエクスプレスと言うショッピングモールが併設されているので恋する惑星が与えた影響は香港にもしっかり残されていて非常に興味深いものでした。


 『裂けて海峡』志水辰夫


 これは長い小説になるのでまた別の機会に紹介します。初出はやはり1983年と言うやや時代がかったもので、日本の戦後史観、と言うより志水さんの感覚が色濃く出ています。

 面白い小説なので一晩で読み切りました。

 それでは また

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私はすべてに「いいえ」と言った。けれどもからだは、躍りあがって「はい」と叫んだ。

 月曜日の午後から処方された薬を飲み続けているが、どうにもこうにも咳だけがおさまらない。


 呼吸をしていると胸のあたりがスースーして息がどこかちがう場所へ抜けていくかのようだし、なんだか自分のポンコツ具合に嫌気がさす。


 抗生物質と総合感冒薬の処方、飲み合わせが良くないのか、味覚も飛んでしまって口の中にいつまでも錆のような苦味が残っている。いやだな。

 救いはまだ眠れること。先週の土曜日くらいはもう本当に身体がじーんとしびれてしまって眠りにつくことさえ許されなかった。


  誕生日を前にして、詩人の大岡信さんが亡くなられた。

 詩人は瞬間の王だから、深い深い野性と理性のあいだに即興的に生まれた言葉を考える事なく紡いでゆく。

 考えて出て来た言葉の連続ではないから、その言葉の持つ本来の力や美しさに思わずハッとさせられる。

 大岡さんの場合、考えるうちの仕事は評論だったんだろうな。

 現代、詩人生まれて来ないな。

 

 今の時代はさ、まあわたしも含めてなんだけど目の前にある餌をパクって食べているだけだもんね。人が指し示した書物や人が掲げた理念に追随するだけ。真似するだけ。

 それなのに、自分がやったんだってへんに胸を張られてもね、はらりはらりと波間に漂う木の葉の裏にへばりついたよ溺れぬように。

 


 

静物

冬の静物は傾き まぶたを深くとざしている
ぼくは壁の前で今日も海をひろげるが
突堤から匍いあがる十八歳のずぶ濡れの思想を
静物の眼でみつめる成熟は まだ来ない


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自然治癒力

 風邪なんて、放っておけば治るでしょ!

 たいしたことは ないさ、どうってことないさ。

 節制なんて、養生なんて なんて なんて…


 そんな具合で3月29日から過ごしていたのですが、咳もクシャミも鼻も止まらず。

 食欲も減退して、お酒も飲む気が起こらない。

 幸いなことは高い熱が出ない事だけ。


 4月に入った昨日と一昨日は寝台とソファを行ったり来たりしながら、のんべんだらりと精彩を欠きながらお風呂にも入れず誕生月を迎えました。


 3月28日の晩に近所に住む実弟と食事飲みしながら香港の話や自動車、サッカーの話題で盛り上がっていたのです。その晩は代表のタイ戦があったのでそれを観て、翌朝寝て起きたらひどい倦怠により風邪をひいてしまった事に気付きました。


 ○○は風邪ひかない、と言うようにわたしもここまでひどい風邪ひいたのはいつ以来だろ?たぶん2年前に出張先でインフルエンザになって以来かな。


今回 熱はないのでインフルエンザではないな、と舐めていたらぜんぜん症状がよくならないので今日は医院に行って来ました。


 近所の内科医に行ったのですが、驚いたのは風邪の患者は受付を済ませたらいきなり隔離部屋みたいなシェルターに入れられて、そこで診察と会計まで済ませて専用の出口から帰るのです。他の患者さんと一切接触せずに院内感染を防止してますってシステムでした。

  こちらも他の患者さん、高齢者だろうが現役だろうがに風邪をうつすなんて気が引けるので良いシステムだなと感心して院外処方された薬を今しがた飲んでキモチゆらゆらしています。


 香港で日本からしたら季節外れの半袖着衣を経験したのが悪かったのか?単に東京の寒暖差がよろしくなかったのか、よく分かりません。

 鼻の下の皮膚がむけるほど鼻紙使ったり久々に苦しみました。

 香港では足元がゆらゆらふらふらする37階と言う高層階に3泊してあまりしっかりとした睡眠を取れなかったりしたので疲れが溜まってたのかも知れません。

 楽しい事の後に、試練を与えられたり とか。


 いま目の前に白い光が走ったので何が起こったのか、と思ってたら近所で雷鳴が轟いてますわ。

 花見の人らは落ち着きませんね。


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 画像は香港の九龍からマカオ外港に向かうスペシャルクラスの船内でサーブされた船内食。(エコノミーには船内サービスはありませんでした)今回の旅ではグルメもしたんですが、その手のグルメ写真は撮らなかったですね。一人だと注文した料理の量が毎回毎回多くて…食べるのに精一杯でした。

 ガイドブックに載ってるような店よりも街角で地元の人に混じっで食べた雲呑麺(30ドルでしかない)の優しい味の方がよく思い出します。

 いまは味覚が飛んでしまっているので印象だけ。


 東京の天気、荒れてますね。

 雷はたまらないので早い時間に医者に行って良かった。

 今夜は早目に薬を飲んで眠る。

ヒューガルデンビール

 香港が25,6℃と初夏の気候でしたので気持ちよく過ごしていたのですが、帰国した日の晩から東京の朝晩の寒さが身にしみまして早々と風邪をひいてしまいました。

 喉が痛くて咳も止まらない嫌な感じの風邪ですね。


 最近風邪をひいたのが一年以上前の話になりますのでかなりこたえています。

 まぁこの土日ゆっくり寝て過ごして治すように。


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香港ではこのHoegaardenヒューガルデンばかり飲んでいました。

 オープンテラスのあるナッツフォードテラスでは夕方4時から9時頃までハッピーアワーでありまして、飲み物が手頃な値段で提供されます。

 ヒューガルデンはかなり大きなグラスになみなみと注がれてハッピーアワーでは55ドルでした。

 観光地と言うのもあるのでしょう、他のお客さんはこれを1時間くらいかけて同席の方とおしゃべりしながらゆっくり優雅に飲んでいます。


 わたしは話し相手も特段見つからないので、いきおい飲みに走ってヒューガルデンの大きなグラスをあおるように飲んでいましたが…


 今は喉が痛いので刺激のあるものは避けて緑茶やウーロン茶のあたたかいのでやり過ごしています。


 桜もわたしが帰国した23日には咲いている予報でしたが、案外この週末が見頃かも知れませんね。

 具合よくなったら缶ビール片手に近所の桜でもからかいに行ってこようかと考えていますが、この風邪かなりガンコでいやになります。


 おやすみなさい

香港から帰って来たら、東京はまだ冬の寒さですね

 昨日は前夜ホテルでの中国人観光客の深夜における生活騒音が執拗で1時間くらいしか眠れませんでした。


 中国人観光客がお金を持ってるのはだいたい想像がつくし、そんなところに東京から行ったわたしが贅沢して37階エグゼクティブクラブハーバービュールームの並びに紛れ込んでいるのも自覚しているんですが、隣りの客室で人が眠ろうとしてる深夜1時過ぎからわざわざ騒ぎ出す中国人観光客にうんざりな一夜でした。


 朝は9時過ぎまでモヤモヤしていて、意を決して朝食ビュッフェを食べに行き、その後はチェックアウトまで部屋でひたすらボーッとしてました。

 近所をぶらつく手も無かった訳ではありませんが、最終日くらいホテルでのんびりするのも良いでしょう。

 

 チェックアウトはホテル39階のクラブルーム専用カウンターで行いました。

 正午近くになって階上にゼロハリのスーツケースを転がして行ったところ、先客のヨーロッパ人らしい御夫人がホテルスタッフと支払いで揉めてます。なんか、海外旅行あるあるです。

 その御夫人は20分くらいホテルスタッフの女の子に不平を言ってました。なにやらbooking.comで予約していた内容から追加の支払いが発生していたみたいです。

 わたしも眺めの良い部屋をリクエストして客室では最上階のエグゼクティブクラブハーバービューに泊まってたので内心すこしどうなるんだろうって感じてました。わたしの番が来て、カードキーを返却したら端末でミニバーの利用履歴などを確認したのちノープロブレムと言われてすんなりとチェックアウトは完了しました。

 エクスペディアで予約すると国によっては追加で税加算されたりするんですが、香港のホテルパノラマバイロンバスではそう言う事が一つもありませんでした。なぜか前途洋々な気分でホテルを後にします。

 追加支払いありのリクエストアップグレードなんて嬉しくないですからね…

 

ゼロハリの小さなスーツケースをゴロゴロしながら、エアポートエクスプレスで空港に向かうか考えてました。或いはタクシーでも…

ひとりでタクシーは贅沢だなと思ったし、エアポートエクスプレスは九龍の駅までわざわざ行く必要があります。


 ここは33ドルの一番庶民派的な一団に紛れて空港バス、シティフライヤーで移動するべしだわいね。

 

 わたしが最初に並んだ場所は間違ったバス停で、地元の人が親切に英語で指摘してくれて正しいバス停までまた移動出来ました。

 香港人、日本人にはやさしいです。

 チムサーチョイから空港まで行くA21系統のバス停はネイザンロードにある重慶大厦の50mばかり北側、重慶大厦の反対側の車線にあります。


 多くのツーリストがスーツケースをゴロゴロしながら並んでいる列で待ってたら3分しないでバスがやって来ました。

 20ドル紙幣と硬貨で5ドル2枚2ドルと1ドルで支払いを済ます。ちなみに香港のバスではお釣りは貰えませんからオクトパスカードか小銭攻撃でやり過ごす必要がありますね。

 わたしは結局オクトパスカードは買いませんでした。


 空港まで1時間くらい。ターミナル1。

 香港航空は安いけど一応レガシーなのでターミナル1にあります。


 受付2時間前ルールなんてものもなくて、13時過ぎに空港に着いたら待つ事なくすぐにチェックイン出来ました。


 後は15時50分発の飛行機に搭乗して帰るだけ。

 200数ドル残ってたお金でビールなんぞを飲んで時間潰しです。

 昨日1時間くらいしか寝てないのでだるいのですが目をつぶっても眠気はありません。

 精神が高揚したままなのかダルフワな感じ。


 帰りの香港成田便も満席近かったですね。

 香港航空の成田便は往復45,000円くらいです。

 私の感覚では安いと感じますよね。

 深夜便のさらに安いのなんて乗る気になれないし。


 香港航空はそのくせLCCではなくレガシーなので機内食もちゃんとサーブされます。量も味もわたしには充分です。飲み物もビールなんぞを頂けます。酔っ払う気ならビールを際限なくサーブして貰えばいいです。しませんけど…

 空港に着いてからも預けた荷物は直ぐに出てくるし、香港航空はかなり具合良いと思います。

 エコノミーからビジネス乗り換えアップグレードも30,000円ちょい出せばやってくれます。

 まぁわたしはエコノミーで一睡も出来ずに固まって帰りましたけどね…


 成田から帰りはスカイライナー日暮里乗り換え山手線から西武池袋線に乗り換え石神井公園に帰るのが定番ですが、寝不足でどうしようもなくダルかったので香港から電話して実家の親父さんを頼りました。


 自動車で成田からは1時間半の上かかりますね。

 親父さんに丁重にお礼して、昨夜はサッカー観て寝ました。

 今日はまだ疲れが残ってますが、明日には荷ほどきして洗濯して、また感想を書いて行きたいと思います。


 おやすみなさい

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