或る光栄

In case of die.

ブログに綴っている内容は勤務する企業とはいずれの関わりもありません

東京の片隅に

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今日は怪我(鎖骨骨折)をしてから40日ぶりに外のみしました。

 弟くんと一緒に地元石神井の店で。

 毎日雨ばかりで、ただでさえ骨折で気分が滅入るところちょっとだけ景気づけ出来ました。

 ささやかと言うかつつましやかに暮らしとります。

 

 こないだの選挙では、排除するってワンフレーズが取り沙汰されて大騒ぎになっていました。

 なにがどうって事はないのですが、皆ひとつの言葉に端を発して報道などに左右されがちだなあと思います。

 ホントは言葉よりも行動が大切なんだけどね。

 まあ小池さんはワンフレーズもそうなんだけど、実質都政でも結果を残してないですよ。

 弱小国が仮想敵国を作ってあげつらうようなやり方が見透かされたって事。

 京都の前原さんが合流するって言った時は盛り上がっていたんだけど、受け入れる側がしきりに合流って言い回しを否定して挙句排除しますってなったらオイオイってなりますよ。

 小池さんは別にどうなろうが知ったこっちゃないけど、前原さんは今までも不幸な星の下に泣いて来てまたかよって言う具合なんでなんかやりきれないですね。男として。


 わたしは前日の土曜日に期日前投票に行って来たんだけれど、これも台風対策について報道が煽るもんだから経験したことのない順番待ちをする羽目になりました。

 でも戦後二番目の低投票率なんですよ。

 それで芸人の村本たら言うのが選挙に行っても居ないのに田原のオッチャンの番組に出てきて、なんか訳わからん事をうたってると言うね。

 権利を放棄してんのに主張するなっての。

 くだらねえ若造だなって、極まってるよ。


 スポーツは嘘が少ないって事でふだんCS中継ばかり見ている私ですが、ちょっと今回の選挙はいろいろ酷いなと思ったので書かせていただきました。


 雪が山に積もったらスキーにも行きたいので鎖骨も早いとこくっついて欲しいものです。へば

 

つながり

 また2週間ぶりに鎖骨骨折で通っている病院に行きました。

 だいたい2週間おきに通っていて骨の具合を見るのですが、町のちょっと大きな病院でいつもなんだかガヤガヤしていて落ち着かない場所です。


 ところで骨はいちおうズレは治って収まるところに収まっていました。レントゲンの画像では見た感じ折れた骨がいちおう元に戻っていて、折れた箇所に黒い線がヒビのように入っているようなもので、骨はまだ繋がっていないし新しい骨も見られません。

 また保存療法って事で次は時間をあけて4週間後に予約しました。

 今日はモニターの画像をiPhoneで撮って上げる予定でしたが、ちょっと気持ち悪いのでやめておきます。


 周冬雨の事はその後気になってYouTubeの動画を観てみたりしました。

 相手役の余文楽(ショーン・ユウ香港スター)と一緒に疑似恋愛的なドキュメンタリー番組に出てるんだけれど、最初彼のことは?彼はいったい誰かしら?と思いながら観ていました。

 この番組はちょっとテラハ(私は観たことないが)の要素があるのかな、と感じたのですがそれをスターにやらせるところが大国中国らしいなと。

 

 それでだんだんと、この相手役の彼氏どこかで見た事あるな?って思って当てずっぽうでインファナルアフェアの二作目を検索したらヤン刑事役トニー・レオンの若き日々を演じていたのが彼ショーン・ユウでした。

 周冬雨は私とか自分の事を名前呼びでドンユィと言いますね。どっちかと言えばドンユィではなくてドンユって発音しているように私には聴こえました。

 世界で紛れもなく公用語になっていたり話が通用するのは英語なんだけれど、一番話されている言葉は中国人や華僑のその人口や広がりから中国語ですからね。別に話が出来なくても、話してる内容くらいは理解出来たらいいのになあと思ってしまいました。


 あと、最近すこしガクッと来たのが知花くららさんが結婚した事です。

 どんなんだかわかりませんけど、人のものになっなら急激に興味が失われる人、女性ってのがいるのは確かかなと思います。まあ男性側が勝手に盛り上がっている場合が殆どなんですけど。

 勝手に盛り上がって勝手に盛り下がっているという…

 でも男性の支持層が多い人はこういうのどうすんだろうって他人ながら思いますね。


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 先輩がちょっとした手土産でよく渡してくれるタバコ中華です。

 中国の高級タバコで味わいがとても良いです。

 3月に香港に行った時に免税店で買ったものはもうとっくになくなっていて、また吸いたいなと思います。時代に逆行している嗜好品ですが、今のところ止める理由もないので。


 右鎖骨付近の筋肉が痛くなってきたのでこの辺で。鎖骨は腕を支えている骨なので、折れてるとやっぱり上腕部の筋肉や背中あたりが痛くなって来ます。冬のように寒くなってきたので古傷が(まだ新しいけど)疼く、まさに疼痛というやつをはじめて味わっています。

悪魔の上海人形

 右鎖骨を折ってから4週間経ちましたが毎日疼痛に悩まされています。

 それでも、まえはクルマに乗り込むだけで痛みに震えていたものが今は運転も出来るようになりました。まあ右半身のダルさがつきまとうのですが。

 なんでこんな状況でも運転できるのかといえば、いまから14年前の今頃は右前庭損傷で回転性めまいに悩まされながら、時にはめまい発作でフラフラしながらも当時居住地だった上越高田からめまい外来のある糸魚川まで高速で飛ばしていたという横紙破りが生きているんだなと思います。よく知らないけど。


 夜はやっぱり右側に寝返りうてないのが辛いですね。寝ているあいだに無意識で痛めた側の右側に寝返りうつんじゃないかと内心ビクビクしながら寝に入るのですが、いまのところ右側に転げるような事はないみたいです。

 

そんなすこし非日常の眠りの終わりにまた夢を見ました。


私にしては珍しく、 男女合わせて七、八人でバリ島か海南島かよくわからない島へ遊びに行ったみたいです。

 私はなぜかそのリゾート地のビーチでもまた、ひとりで遊んでいるんですね。

 他の男女は暑いとかなんとか、もともとインドア派なのか知らないけどホテルのそばで買い物ばかりしてたみたいです。

 そんななら海岸のリゾート地になんか来るんじゃねえ、頭きた    と言って私はひとり上海に向かいました。向かいました、というより向かったみたいでした。


 上海の浦東空港で市街地に向かうバスを待っていたら、スーツケースを転がしてダルそうに歩いている痩身の女の子が目に入りました。

 その子は周冬雨でした。チョウ・ドンユィですね。ああ本国だからこういうの別に珍しくないんだな、空港だしな…そんな感想。

 

 旧租界の街区が好きなのでそのそばにホテルを取り翌日の昼間。私はひとりで朝飯を食べに出ました。オープンテラスのある食堂で過ごしていて、ちらっと隣の席を見たらまた周冬雨が座っています。ストローでロングアイランドアイスティーをいじっているのでした。

 それでどんな言語かはわかんないのですが、二人してコミュニケーションとってるんですよ。

 

 お疲れ気味なわたしの脳はそんな二人を俯瞰して見ていて、それでそのシチュエーションがあまりにも無さ過ぎて半分馬鹿馬鹿しかったので、そんな馬鹿なと思わず寝言ついたところ目が覚めました。


 骨折すると周冬雨が出てくるんだなとしばらくほうけていたけれど、周冬雨はちょっと痩せすぎだなと思います。みなさんどうですか。


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 彼女は13億人の妹だけあって期待を裏切らない活躍をしているみたいです。

 

まだズレてる

 右鎖骨を骨折しておよそ3週間。

 今日は通院でした。

 いつも通りX線でレントゲン撮影して診察。

 パソコンに転送された画像をモニターで確認した医師は、まだズレてるね   と一言。

 最近は痛みもだいぶ引けて可動域も広がっていたので、治癒に向けて順調に行ってる!と我が肉体に感心していたのですが…

 まだ早かったみたいです。

 あとやたらと手術をすすめてくるんですが、外科医アルアルだなと思って無視しています。

 もし手術しなきゃならなくなったらセカオピで他のデカイ病院に移ると思います。

 通いやすさで近所の病院を選んだ事をいまは後悔しています。近所の病院には後期高齢者ばかり。

 イヤーな感じ。


 

 いまは鎖骨 骨折とかでGoogle検索すると様々なサイトが上がってくるのですが、Yahoo!知恵袋教えてgooの鎖骨骨折経験者談が一番参考になります。

 牛乳と日光浴が骨折に効くらしいです。

 フムフム。


 完治までにはまだまだ時間がかかりそうです。

 仮骨というやつが出来てきたら少しずつリハビリをやって行こうと思います。


 いまはからだの姿勢を骨に具合よくするためにクラビクルバンドと言う装具をしています。

 当初痛みで自分では外せなかっのですが、いまは左腕側を強引に外して脱着出来るようになりました。装着の時はザックを背負う要領ですね。

 

 代表がワールドカップに出場することが決まって特段なにがどうと言う事はない日常ですが、明るくしてなるべく楽しい事を考えるようにだけしています。

 2週間ちょっと、傷に悪いので酒を断っていました。一昨日くらいから復活したんですが、酒に弱くなってましたね。少ない量で酔えるってなんかいい感じです。すぐに耐性が出来上がっちゃうんでしょうけど…


 今夜くらいから東京はだいぶ冷え込むみたいです。暖かくして過ごしましょうかね。

 あと、今夜は中秋の名月です。

 曇りだから見えないかな。

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痛い痛いは良くなる証拠

 やらかしてしまいました。


 人生で初の試み  もとい

骨折体験です。


 なぜそうなってしまったのか?

これは笑いばなしになるその日まで伏せておくことにして。


 もしかしたら?と言う予感めいたものを我が身にいだきながら、痛みに震える長い夜を過ごした翌朝。果たして右腕がだらんとして上がらなくなっていました。

 それでもその日は痛みと肩の違和感に耐えながら日中を過ごしたのです。


やらかしの翌々日。やっと 医院に向かう気になる。右腕をくの字型にしてへそのあたりにピタっと腕をつけて。

 なるべく揺らさないように。

 

 少々荒っぽい整形外科の先生はわたしに一目くれると、やぁ鎖骨が折れてますね。レントゲンで詳しく診てみましょう。

 レントゲンを診ると右鎖骨がこれ以上ないほどきれいで派手な、深刻な様子を写真が表し、骨がぶち折れるとはまさにこのこと。

 なるほど、右肩のあたりがしゃかしゃか鳴るし、痛みは酷くなるし で これが骨折と言うものなのね。


 先生はすぐにボルトとプレートの接合術をしきりに薦めて来たが、わたしはなんだか気持ち悪い感じがして手術はひとまず拒否り。

 だいいち親にもらった大事な身体に、不要ならメスも金属片も入れたくなんかないじゃない  ですか。


 自然に骨がくっつく道を選びました。


 ボルト、プレートの接合術は確かに痛みは引きやすいらしいけれど。開放骨折でもないのに痛みと引き換えに手術するなんて。わたしは嫌です。

 嫌なんだヨ〜〜〜〜〜〜ッ!!!心の叫び


 しかしアレですね。

 痛み止めって言えばロキソプロフェンが出て来るんですが、肩こり片頭痛に悩まされ服用歴20年のベテランには効き目が薄いんだ  これが。

 もっと競争馬だとかヒグマにでも効き目がありそうな痛み止めを出して欲しいものです。

 ヤンキーとか、OZなんかにはそんな強烈な痛み止めが出されるそうでそう言うのはうらやましー。


 いま拘束着みたいな装具を肩からたすき掛けしているんですけど。ちょー怪しい人になってます。

 てかこんなんで骨くっつくのか?すげーローテクなんですが。


 寝返りをうてない夜が数週間続く。

 他にも不便な日常。


 病気もそうなんですが、怪我って嫌ですよね。

 むかし経験値が低かったころは悲観的になったりしたんでしょうが、いまは色々な事を受け入れる気持ちのほうが強いです。


 でも、今までさんざん無茶をやってきたので

今になってオレが骨折するかぁ?って感じですね。

 とてもビックリしました。びっくり ぽん です。


 


 

退屈しない人

 リバプールでプレミアを観たボクは、フェリーに乗り込んでマン島に向かった。


 プラムと言う名のパブに落ち着いたのち、TTが開催される街中のコースをクランクベント越しに眺めている。

 その晩ドラフトをしこたま飲んだ。

 長旅の疲れを癒やすかのように、暫時赤子のように深い眠りについた。



 三日後からマン島を回航するヨットレースにクルーとして参戦する。ポジションはメインセイル担当のヘルムスだ。

 

 三日間行われる回航のあいだにボクは、マン島TTのフォーミュラ2クラスにもエントリーする羽目になってしまった。

 バイクショップのマックがマン島に来たなら  と言う事で勝手にエントリーしていたのだ。

 フォーミュラ2と言えばむかしトニー・ラッターが席巻していたクラスなのである。

 いまはその息子が同じく走り回っているが。


 ともあれ、三日後のボクは深い青色が印象的なアイリッシュ海を滑空しながらカタマランに乗り込んでいる。

 その日は吹かない状況が続いて穏やかな日和だった。アメリカスカップのように先を急ぐレースでもない。TTの開催に合わせてかつての支配階級が道楽で走らせているような気楽なものだ。

 スキットルに仕込んでおいたアイラを時々ぐびぐびとやりながらその日は過ぎていった。


 

 パブを引き払って、ダグラスにあるマックのショップに転がり込みレザースーツのフィッティングなどを済ませた。

 明日走らせるバイクはドゥカティのマシンだ。

 マックのモディファイはマン島を走るアマチュアライダーにも定評があり、ボクはマシンの基本的な特性だけ捉えて明日に備えるだけで充分なような気がしていた。


 ショップの裏手にある母屋ではTTの前夜祭よろしくマックの店で100年続いて来たレセプションでごちそうが振る舞われた。


 


 翌日、平原を左手にアイリッシュ海を右手に見ながらのブラインドコーナーでボクは転んでTTの休日の終わりは突然やって来たのだった。

 きれいなスリップダウンだったから、人もマシンのダメージもたいした事は無かった。



 マックの家の離れで連日語らい飲み明かした割に、TTのレースコースにあるアスファルトの染みと、公道をあらわすセンターラインの残像がいつまでも脳裏をよぎり眠れない夜を過ごした。



 翌朝ダグラスの港まで歩いて向かっていたボクは、フットボールコートで遊んでいる子どもたちに混ざってボールを蹴り出した。

 子どもたちがしきりパスを寄こせと声をあげている。瞬間ローファーが脱げて転んだ。


 


 アッと声をあげてびっくりしたところで夢から覚めた。うっすらと鼻のあたまに汗が浮かんでいた。せわしない夢だったな、と思った。

 


 時計はまだ四時前なのに。

 

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