愛犬ララとの想い出②
ララがこの世に生を受けて9ヶ月めの2004年春先、新潟県上越市への転勤辞令が出た。
転勤辞令は致し方ない、まだ若い方の部類だからと感じて転勤する事にしたのだ。
横浜の家は一部屋だけ倉庫代わりにして施錠し、ほかの部屋は留守宅管理の会社に任せ賃貸物件とし、出来る限りの家財を新潟県上越市へ運ぶ事にした。
苦労したのは現地ではペット可物件が希少というよりほぼ皆無だった事。
転勤、引っ越しをするまでの間に3回も上越市まで行ってアパートを探した。はっきり言ってそうなる事は想定外であった。
しかし諦めかけていたところ高田公園に程近い場所にて新築物件が見つかった。1LDKで57平米あったから、家財もなんとか収まった。
向こうでは地元民従業員から東京出身者への露骨なモラハラ、子会社から親会社への出向であったがゆえのパワハラもなきにしもあらずの感もない訳ではなかったが、わたしは自分を見失わない事に努め、徐々に内外からの理解者を得る事が出来ていった。
ララ自身は自然環境と東京よりは涼しい気温に幾分は助けられたのだと思う。
なにより知らぬ街の寂しさを随分と癒しなぐさめてくれたのは他でもないララだった。
固いものに歯型をつける遊びのおかげで部屋は傷んだが…
思えば犬なりに好奇心旺盛な思春期のようなものだったのだろう。
困ったのは冬の散歩だった。
高田の街は雪が降ると消雪の水を道路に埋め込まれた設備から散水する。散歩道は雪解けの水で池みたいになった。
そこを毎朝夕欠かさず散歩してきた。
うちのララは家で用を済ます事に大きな抵抗があり、特にマーキングを伴う小用は絶対に家の中ではしなかった。
山あり谷ありな、わたし流のいつもの時間が過ぎた。四年の後、今度は兵庫県尼崎市へ転勤となる。
しかし新潟にいる間もクルマでどこへでも連れて行った。
わたししか面倒見る人間がいないし、ペットホテルのような類いは探してもなかった。
連れて行けない場合、クルマでは時間がかかり過ぎる場所に行く場合、
凍てつく冬、凍りつく長野駅のパーキングへクルマにララを乗せたまま東京日帰り出張なんてのもあった。
おしっこちびりながらララは待っているのだと思って寄り道なんて選択外、問題外だった。
いまララはわたしの家にいて、昼は一階のリビング、夜は二階の2つ並べたベッドの片方で寝かせるようにしている。
身体の水分バランスがだいぶ壊れていて、飲まず食わずなのだ。
今日は注射器型の注入器で少しの水と療法食を与えることが出来た。
いままだ救いなのは、スヤスヤと眠ることが出来ていること。
前の8月時に小腸腺癌で腸閉塞していた時は、眠ることさえ出来ずに苦しさに耐えていたから。
彼の最期にわたしは立ち会えるかな。
外出先で、帰宅してみたら…なんて考えると悲しすぎる。
いよいよと言う段に残念ながら進んでしまう時には、実家の両親を頼るしかない。
いまから少しずつ、冷静に現実的に実現可能な事をララにしていく。
まだ話す事は早いかも知れないけれど、8月中旬に彼が退院してきてからの今までは。
神様がわたしとララにくれた夢のようなご褒美だったのかも知れない。
それぐらい元気になって遊んだ。
遊んでくれた。
なのに 突然変わってしまった。