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或る光栄

In case of die.

ブログに綴っている内容は勤務する企業とはいずれの関わりもありません

新年もララとの思い出①

 新潟妙高(当時は新井市)にある親会社の半導体工場での勤務は、内外からの理解者を得る事が出来た後はすんなりとわたしは受け入れられた。

 このあたりはNIKKEI.BP社のウェブで、蝕まれる心 企業生き残りの代償 パワハラにモラハラと言う記事が掲載され残っているが、これはライターの長田美穂さんとわたしがやり取りして掲載されたものだ。ググれば出て来ます。


 春夏秋冬とある季節で思い出に残っているのは、雪道でのララとの散歩。この印象が強く残り過ぎていて、四月下旬に見事な桜を咲かせる高田公園の印象もやや薄れて来ている。


 新潟妙高で四年を経過し、兵庫県尼崎市プラズマディスプレイの新工場建設があるので声がかかり、ララと一緒に不本意ながら関西へ行く事になった。

 行って見てすぐに分かった事だが、ここでは第三、第四とすでに立ち上がっていたので既存の勢力がだいぶ幅を利かせやりたいようにやってるカオスと化していた。


 わたしは赴任した二ヶ月後には転職活動にいそしみ、2007年8月末日で10年勤めた会社を退き現職に就いたのだった。結局尼崎に居たのは8ヶ月程度で、空気の悪い地方都市を早々に去れて幸運だったのかも知れない。

 

今の会社は業界トップクラスで一部上場企業でもあり、さりとて前の会社のようにギスギスはしていないので良い会社です。(役員クラスはちょっと…)

 

 新しい会社でも、ララと 一緒にどこへでも行った。東芝四日市に足かけ四年半、菰野町と桑名にペット可マンションを探し当て住んだ。

 三菱マテリアル鈴鹿 鈴鹿住み11ヶ月。ここも造作無くペット可マンションが見つかった。

 鈴鹿は良いところですね。バイク、自動車好きな人にはたまらない街です。


 四日市での仕事が終わってからは、本社管理部門の勤務になり、以前のような長期出張は無くなった。

 もうかれこれ4年になろうとしている。


 ララには環境変化と言う負荷を与えすぎたのかな?と今となっては考えている。でも他に面倒見る人はいない。そんな2年も3年も…選択肢はなかったなあと思う。


 他に道なき俺と 迷惑そうに出来ないお前は道づれに。


 どこへ行った時も一緒だったから、街が背景にあってセンターにはいつもララがいたのだった。

 

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