寒い朝の初七日
写真は苫小牧行きのフェリーで夕焼けのララ。
今日はララの初七日。
朝五時に目覚めて暗い中墓参りに行って来ました。
今朝は雪が少し散らついていて、ララが逝った暖かな正月五日とは正反対の寒い日でしたね。
朝早かったので誰もいない墓参だと思っていたら、どなたかが新しい花と御線香をたむけたあとでした。
昨年は5月、昇格に落ちた後はずっとろくでもない半年間でした。
ララが12歳半で亡くなったのも、そんなわたしを見ているのが辛かったからなのかな?と考えてしまいます。
昨年はそう言う悪い流れを変えるような事はしないで、生まれて初めて流れに身を任せていたような気がします。
やっぱり怒ったり憤ったり恥をかいたりしながらも逆らって抵抗してやっていくべきだったのだ。
長く生きていたり、若くても不必要に摩擦を繰り返すように生きていると、計算高くなってしまう。
計算高いって言うのはそれが順調に行っていたとしても実はつまらないものなんだよ。
まさかこんな事が、って事を喜んだり悲しんだり出来る方がたった一度の人生を楽しめると思うんだよね。
いまは、今の世の中は前もって割り振りされた予定調和がやたらに多いよね。
予定調和のありふれた情報だから、直ぐに忘れ去られてしまう。
それでもみんな安心してしまうと言うね。歳とっていくとなおさら予定調和がうれしくなるって。
自分が動けなくなると人がもたらす予定調和が楽しみになったりとかね。
わたしはそう言うのがいちばんくだらないと考えていて、今また新たにそう思い直しています。
ララの予定外の早世がそう思わせるに充分な出来事だった。
今また口より先に手が出るとか、考えるより先に動くとか、そのような粗暴な生き方に戻るつもりです。