大切なものの写真
今日は二日がかりの洗濯を終わらせただけだった。
昨夜は近所に住む長野県出身の先輩氏と新年会。
氏とララは昨年菅生で行われたモトクロスMFJグランプリ、一緒にクルマで向かったので会っている。
正月五日に亡くなった事を伝えたが、反応は薄かった。
それだけだ。
わたしが出社したあと直ぐにララは亡くなった。
ララはわたしに見捨てられたと思ったのかなあ、とか 悪い方や暗い方の考え方をどうしてもしてしまう。
少し生っぽい肉を食べてみたりすると、血の混じったララの排泄物をその匂いから思い出して考えてしまう。
俺はララにとって本当に良い主人だったのか?楽しい時の事があまり思い浮かばない。
最近は人と話していても、うなずいたり相槌を打つだけで滑舌よく饒舌になんて言葉が出てこない。
ぽっかりと胸に穴が開くって表現が今のわたしにはぴったり相応しい。
ヤケになったり必要以上に落ち込んでいる訳ではないけれど、やっぱり家で日がな一日のんびり過ごしていると、今でも見つけられたりふとした拍子に出てくるララの被毛がララを遠くには行かせない。
今はなんでもiPhoneのカメラで撮影するけれど、手元に残った銀塩で撮ったララの写真数枚のほうがいい。
手元に残したいものは、やっぱりフィルムカメラで撮るなりデジカメでもちゃんと現像とかスキャナにかけて、写真にしたほうがいいな、そのほうがあとになってうれしいものなのだなってあらためて思い直しました。
ララ 三ヶ月と少し。
耳がまだ寝てる。
2003年9月 ニコンF5で撮影した写真。