或る光栄

In case of die.

ブログに綴っている内容は勤務する企業とはいずれの関わりもありません

ハッシャバイ

 まーったく調子が上がらないです。


 外に出て寒かったりすると、それだけで気持ちうんざりして来ます。


 最期ララを看病していたときの疲れが溜まって抜け切れていないのかな?とか考えています。


 愛犬はわたし以外に面倒看るのがいなかったので、毎日少しずつ悪化し弱っていく姿に気持ちの落ち着く日はありませんでした。


 昨年12月24日に余命一か月と医師から言われ、結局一か月もララは生きられなかった。

 亡くなったのは正月五日でしたから。

 頻弁がかなりひどくて、そのたびわたしが いいよ 大丈夫だよ となるべく明るく世話をしていたのですが。

 ララは、彼はわたしに迷惑かけるのを嫌って早くに逝ったのかな?などと考えてしまいます。


 ララは命に向き合うって事について、わたしにいろいろ教えてくれた。


 この週末は49日には少し早いのですが霊園で供養して来ます。卒塔婆も頼んでいます。花をたむけ、線香をあげてきます。


 いまはまだなかなかそう言う話にはなりませんが、実両親が病に伏せてあとわずかな事になったりしたらどうなるんだろうと感じてます。

 人間も愛犬も病院の中より住み慣れ生活して来た場所で死にたいのでしょうか。病院で死ぬのが良いのかとか、考えてしまいます。


 いまはたびたび自分らの子どもを死に追いやる酷い親のニュースが流れて悲しくなりやりきれなくなりますよ。

 ああ こう言う風に命を粗末に扱うって言うのは、自分の命も粗末にしてるんだな。自分の命を大切に思えない人間が家族を持ったり親になったりしたら駄目なんじゃねーかって思うのですね。

 亡くなった子どもって言うのは、自分の親とも血縁なわけでしょう。普通だったら悲しいはず。

 この事については、親の因果が子に報う とは思えない。


 なぜ愛すべきもの愛するものに体当たりでぶつかって愛情をそそげないのか。

 お金があってもなくても、愛情だけは捨てたらダメだよなっていつも思っています。


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