或る光栄

In case of die.

ブログに綴っている内容は勤務する企業とはいずれの関わりもありません

許されざる者

 許されざる者の象徴。


 心は自由だから とずっと考えていると、顔にも背中にも出てしまうから始末が悪い。


 同じく考えている人は自然と近くなって情が湧いて来る。


 最近でもないが、一番堪えたのは

正しいことなんて、世の中には無いかも知れないぜ

と言われた事。


 正しいことって言うのは人間の頭の中にはあるのかも知れないが、それがひとたび世の中に表出する或いは自らが表現しようとすると自分とは違う正しいものの価値観同士がぶつかり合う。


 わたしは上手くいかないなあと思っていても、周りから見たら贅沢言ってやがると見られるのかも とか。


 こうして常に周りとの調和を関係なくして動けば、堂々めぐりだったり裸の王様だったり盲目と呼び習わされる。


 それでもいいのか?ってなるとわたしはまるっきりひとりで生活している訳じゃあない。

 会社と言う帰属組織がある。

 近隣住民との生活がある。

 親兄弟とは縁は切れまい。


 その手のを煩わしく感じて山に篭る人もいるのだろうが、わたしはすぐに人恋しくなって到底そのような生活は果たせない。


 本当だったら不惑であるべき年月なのだが全然そのようにはなれない。


 心は自由なんだよ って思うだけなら良いのだが、ひとたび公共の福祉の場で表現すると反発を食らう。

 これは自分を殺せって言ってる訳ではない。


 チンピラじゃあないんだから相手をよく見てリアクションすることも必要だよ。

 やぶからぼうに手当たり次第自由を掲げてたらこっちがもたないよ。


 ある種偽装の誹謗を受けたり批判されたりしても、心の中でそりゃ全然違うって思うのは自由だから。


 まあ社会全体こんだけ差が生まれてくると、嫉妬とか悪意とかそこいらじゅうに充満しているよね。


 案外と考えに迷ったらなにもしないって言うのは賢い生き方だなと。


 他人に制止されても突っ込んで行って、挙句この有様だから。


 骨折り損のくたびれもうけ的な事をバカみたいに繰り返すのはやめたいなあ と 考えているところです。


 そう 骨折り損のくたびれもうけ。

 行為の裏側にある座右の銘 だね。

 骨折り損のくたびれもうけ。

 おかしくなる。笑えるわ。

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