シンガポールから戻る日
戦中、日本はシンガポールに進駐していた。
1942年の冬の季節に海を渡り、ジョホール水道から英軍を攻め立て陥落に追い込んだ。
歴史好きな私は、山下将軍が英軍のパーシバル中将に降伏を迫った旧フォードの工事を見学した事がある。
ここの受付に、日本軍はベリーストロングだったと有難くもないお褒めを受けたのだが、館内で上映されていたシンガポール攻略戦の記録映画は日本の帝国主義を批判する内容だった事をよく覚えてる。
シンガポールを昭南島と改めて、ラッフルズホテルは昭南旅館とした。
その常夏の島に単身赴任していた方が、この4月から千葉着任でまた日本に帰って来ると、昨日LINEでシンガポールから連絡があった。
その方は三重県に家族を残して、また単身赴任で千葉にやってくる。
元々四日市で現場責任者をしていた頃からのお付き合いで、現場が終わった後は歳上の先輩としての友達付き合いが始まったのだった。
シンガポールへ遊びに行った際もだいぶお世話になった。
F1のチケットはわたしが手配したけれど。
4月はわたしの生誕月であり、また、人との巡り合わせが生まれる月でもある。
3月に人が去り、4月には出逢う。
会社勤めなら逃がれられない習慣を、繰り返している。
わたしは少なくとも生まれた街で仕事にあたれる事を幸運に恵まれたと意識してやっていくべきなのだろう。
全然調子が上向かずにいて、暗澹たる気持ちに変わりはないが、少しずつでも前に足を踏み出して行きたい。
眠りを深めるためにトラゾドンが増量されたけど。
なんとかやって行くしかないな、他に道があるとは、今は考えるゆとりがない。