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或る光栄

In case of die.

ブログに綴っている内容は勤務する企業とはいずれの関わりもありません

人の中にある記憶

 先日定期的に歯の具合を診てもらっている歯科医院に行った時のこと。

 異常は特に見つからず、ガリガリスリスリとクリーニングだけしてもらいました。


 施術が終わって支払いを済ました際に、受付にいた歯科衛生士の女の子から突然たずねられました。?

 ワンちゃん元気ですか?

 

 わたしは少しの間の沈黙の後に、ララが昨年の正月5日に亡くなった事を説明を交えながら話したのだった。

 それは淋しいですね   と返す言葉を失いつつも、歯科衛生士さんは声を続けた。


 さて彼女にララの事を話したのいつの頃だっただろうか。たぶん一昨年前の夏にララが腺がんの手術から生還した頃の話だろう。

  それから何度もこの歯科医院には来ているし、彼女にも何回か会っているはずなんだが。


 その歯科衛生士さんの彼女の中ではララはその時まで生きていることになっていて、その日のわたしの言葉から突如としてララが死んだ事を彼女は知ったのだった。


 人の中にある記憶は、こうしてある日突然修正を余儀なくされることがある。


 あの人、あいつ、あの子、今どうしてる?

と言う問いは考えてみると少しこわいし、ある人の答えの具合によっては淋しい心持ちになることもある。


 全く変わらずに、と言うことが貴重でいかに幸せな事なのか。

 前に何も起こらないで平和な事がいちばんいいって書いたけれど、それは自分のためでもあるし自分の周りの人のためでもあるようだ。


 しょっちゅう会ったり連絡を取っていたりしている関係以外では、その人や自分のそれからの話がない。会った日、連絡取り合った時で記憶は止まる。もちろんそれを憶えている、忘れないってことが前提の話なんだけど。


 歯科衛生士さんの彼女がララの事を、そんな2年近く前の話を憶えていたのは。わたしがその時いかに不安な心持ちでララの術後を話していたかが分かる。

 どうせ口を開いて人に話をするのなら、相手の人に自分の気持ちが伝わるように話して行くべきなんだと考えてしまった。

 今回の出来事ではララの事を憶えていてくれて、ありがとうって気持ちになりました。


 それとは逆に、たとえば綺麗な思い出を封印したいのなら会わないほうがいいって人がいるのも事実なんだけどな。

 何年も経ったあとに、実はあの時ほんとうはこうだったんだよね なんて自分の記憶を逆撫でされるとつらい。会わないほうが知らないほうが幸せっだったって事からわたしは出来るだけ避けていたいほうの人間なんだなって。

 

 それを現実逃避型って言われちゃうと悲しいかな。


 野生って自分を憐れんだりしない。

 ララも自分が死ぬことへの恐怖なんか微塵も感じさせなかった。

 そう考えると人間ってやっぱり弱いなって自覚してしまう。


 だいぶ話が脱線して来たので、この辺で。

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