或る光栄

In case of die.

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絶望の逃避行 裂けて海峡

 裂けて海峡 志水辰夫


 物語は1980年代初頭を背景としている。

43歳のわたし長尾知巳は暴力団との些細ないさかいが元で2名の殺人を横浜で犯し2年服役していた。さなか、経営していた海運会社がただ一隻所有していた貨物船が実弟以下6名の乗組員とともに行方知れずとなる。

 海上保安庁の慎重な捜索・捜査の結果大隅半島沖合での海難事故と結論づけされる中、出獄したわたしは鹿児島県大隅半島中浦を最後の地と定めて事故遺族へのお詫び行脚をしてまわる。


 中浦ではまだ一度も会う事なく死亡した社員榊原功の遺族、婚約者との交流がある中で、中浦近くの外浜で特攻艇震洋の部隊員であった老人花岡康四郎と出会う。花岡は事故が起きたとされる晩に沖合20キロ付近から火柱が上がっていたとわたしに告げるのだった。

 わたしは自分の船がどのようにして海に没したのか、真実を求めてやまずにもう少し中浦に逗留しながら調べる事にした。


 そうして幾日か過ごしているうちに、東京から加納理恵が訪ねて来る。理恵はわたしが自分の会社を興す前に勤務していた加納海運社長の忘れ形見であり、理恵が幼き頃から兄妹のように慕い合う間柄だったが、ひそかに恋慕の情を抱いていたのも紛れも無い事実であった。

 理恵が東京から来た数日後、わたしが犯した殺人事件で面子をつぶされた暴力団が徒党を組んで中浦に追っ手をさし向けて来た。

 機転を利かして追っ手をなんとか巻いたのだが、不可解な出来事をきっかけに船の沈没がただの海難事故ではない事に気づかされて行くのだった。


 榊原功の婚約者冴子を小倉まで訪ねていくわたしは、死んだと思われていた榊原功を発見するとともに自分の船や実弟が国家的な謀略により抹殺された事を知らされるのだ。


 わたし長尾知巳と花岡老人、理恵を巻き込んで3人対国家の戦いの日々が苛烈に始まった。




 と、ラストは読んでから、シミタツ節をじっくり味わっていただくとして、ザッとあらすじはこんな具合です。


 わたし長尾知巳は昭和30年台なかごろには加納海運に就職しているので、戦前生まれ、さらに言えば志水辰夫さんが終戦時に国民学校三年生であった事実から志水さんの実体験を色濃く投影した主人公と言うことになりますね。(長尾は志水さんよりは歳下の設定にはなるが)

 物語としては、主人公が国家に追いつめられるシーンがとてもスリリングで疾走感があり面白いです。主人公にとって守るべき大切な存在がことごとく国家によって虫けらのように死に追いやられて行く描写が続き、普通であればしんみりするところだがそんな気持ちを想起しないで済むほど危機的状況が連続します。


 主人公が呵責に苛まれながら絶望的な戦いに身を投じて行く姿がシミタツ節と呼ばれる叙情にあふれた描写で渾身の一作です。


 シミタツ節的な作品は主人公が自分に優しくありません。いま割合と自己愛を肯定的に描く小説作品が多いと感じますが、シミタツ節にはそんなものは微塵もありません。マゾなんじゃないかと思うほどに主人公は自己を精神的肉体的にいじめぬきます。追いつめます。

 そうやって過ごすうちに、なにやらそのご褒美であるかのように、些少ながら微々たる好転が訪れたりします。

 

 空腹も一刻、ならば満腹も一刻として逃避行のさなか飢えに耐えるシーンが印象的です。

 それはいわば志水さんたち世代の豊かさへの警鐘であり、価値観のよすがであるように思います。


 なにぶん初出が1983年と言う古い作品になります。わたしは志水辰夫さんに愛着を持っていますので作品自体の背景がやや時代がかったものなど気になりませんが。

 クライムノベル、冒険小説、ハードボイルドと言うジャンル自体が無くなってしまう中で、こうした古い名著をまた引っ張り出して来て若い人たちにも読んでみて貰いたいなと思います。


 そんな具合です。

 

 

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