或る光栄

In case of die.

ブログに綴っている内容は勤務する企業とはいずれの関わりもありません

泣けること

 成り行きで若い男性の恋バナに巻き込まれてしまって気になり、今朝は5時半には目が覚めてしまった。


 高校をこの春卒業して今は大学生の彼、卒業を前にした先だっての3月に女の子に告白したんだそうだ。

 女の子は彼とふだんから交流があったかと言えばそうではなくて、いわば突然、突拍子もなく彼から告白された事になる。


 付き合ってほしい、と申し出た彼からの言葉に彼女の返事は。彼の言葉を要約するならこんな具合だった。

・今は誰とも付き合うつもりがない

・なぜかと言うと、今ひとりの人に決めて付き合うって事が出来ない

 そんな内容だった。

 ははーこれは体良くお断りされたなって私は話を聞いて思ったのだが、彼は特段なにも返答する事なく彼女に分かったと言って電話をきったんだそうだ。

 うん?電話?電話じゃ細かいニュアンスが伝わらないしなんで直接話さなかったんだい?って私は一瞬考えたが彼にそれを言うのはやめた。


 その代わりに、

・ひとりに決められないなら大勢のなかのひとりとして仲良く出来ないかな?

って食い下がる気はあるかい?と彼に問いただした。

 体良くお断りされたとしても男として本気出さずに引き下がるのはどうかと思ったし、どうせ同じ振られるなら彼女にダメを押して貰ったほうがキッパリ諦めがつくんじゃないか?と考えたからだ。

 

 大学生の彼は少し考えたのちに、

・電話でふだんあまり話した事もない彼女から確信的に断られたので、その時は気が動転して上手く対応出来なかった。

・出来るなら『その手』で駄目元で食い下がってみたい。

そんな旨の話を私に返答してきた。


 でも、と彼は付け加えたが。

・そんな事あとからして女々しくないですかね?

・男がすたるって言うか…


 男がすたる かよ。

 泣かせる事いうじゃないこの子。

 と私はすこし面食らったのだが。


 彼に、

酒場で偶然行き掛かり上で相席している男に色恋の相談(愚痴?)している時点で充分に男はすたってるわいね。女に告るなら自分の思いに責任持ってなにがあっても自分の胸に留め置かないとだめだろや。うんぬんかんぬんうんぬんかんぬん

と私は彼に説教垂れてしまった。


 そしてこんな私が言うのはなんだが、

君な、女に選ばれる男になりなよ

と思わず口にしていた。


 彼はその後なにもしゃべらずに生をガンガンあおって酔いが入っていった。

 て言うか未成年じゃねーか?って思ったが。


  男がすたる

って今時の若い子でも泣かせること言うんだなとちょっと感じ入ってしまい早起きした朝。

 体内時計が完全に狂ってしまってるケロ。

 


 

怖いもの見たさ 尖沙咀

 香港への旅行では尖沙咀チムサーチョイの裏通りを何回か歩いた。


 私が海外の街を歩くときのルールは事前に地図を見ておいてだいたいの地理を頭に入れてから歩き出す。

 ポイントになりそうな交差点やお店、ホテルなどがあるならそれも頭に入れて。

 そして地図やガイドブックの類はホテルの部屋に置いていく。見たいページだけiPhoneで撮影しておくって事は最近やり出した。


 初日に尖沙咀の夜の道を歩いた時は少し方向感覚が狂っていたみたいで、何度も同じ道を歩いたり気がついたら宿泊してるホテルの側まで戻って来ていたりと自分の方向感覚にずいぶん信頼感が揺らいだ。

 

 そんな街歩きをしていると、ビルとビルの間に小径があってなんとなくそこを通り抜けたくなるのだ。もともとビルの1階に入っている飲食店のバックヤードみたいになっているような場所だから、地元民ですらここは通らない。

 そこを恐る恐る抜けていく。

 店の裏口付近でタバコを吸いながら休憩している店の従業員がいたりする。

 足元を体長20cmもありそうな野ネズミが何匹も通り抜けて一瞬ドキってする。

 ネズミ、もういないよな?って感じでドキドキしながら歩いていると前方でビルとビルの間を行き交ったりしていてここは野ネズミの住処なんだと気持ちを落ち着かせて通り抜けていく。


 先になにかあるかも知れない、その100mくらいある小径の通路を抜けていくのがなんとも香港の裏街道を歩いているようで気持ちがよかった。


 男ってやつはどうしようもないから、安全な道路から不安な道へわざわざ突き進んでいくと言うどうしようもない性、サガを持っているようだ。

 まぁ最近じゃ女性の側にもだいぶむこうみずなのが増えたに違いないが。


 

 ルネスタってクスリに変えてもらったので入眠時にガツンと効いてきた。朝起きた時の倦怠が半端ないがしかたがない。耐えるしかない。

 安心して快眠の出来る自分になりたい。


 おやすみん


 

月命日の夢

 雨もよいの街にアンブレラが林立する四月の動物園。ライオンは雨宿りをしながら檻の外にある葉桜をじっと見つめて動かない。

 私は、こんな日もあるさと諦めて池のほとりに立ちすくんだ。予報にはなかったお生憎様の空に不貞腐れたい気持ちをなんとか抑えて地下鉄に乗り込む。

 車中には雨の匂いが。乗客の服や靴から流れ落ちる水滴が濡らす床。

 

 数分後、私は見知らぬ店で食事をしている。

 テーブルは会議室にあるような横長のしつらえ。

 学校の授業でも受けているかのように客は全て前方を向いている。

  ステーキにナイフを入れている。食べているかどうかは分からない。

 瞬間、薄暗い店内のしじまに場違いな閃光が走った。この店はステージで生演奏が聴けるのだった。

 教室の机のように並んだテーブルを叩きながら客たちが騒ぎ始めた。

 うるさくて食事どころではない。わたしは自分のテーブルに、支払いは後で     とメモ  書き置きを残して熱気に包まれたステージとは反対側にある従業員専用通路に歩みを進めた。

 この通路は大手町の地下街のように無計画で無為にアップダウンが続いていく。

 外に出るまでは何枚もの扉が重苦しくのしかかる。

 従業員専用通路を出た。階段の先にある扉を開けて外に出ると外苑の歩道のような景色だった。

 

 私は支払いの済んでいない先ほどの場所に戻るべきだと考え直したが、後ろを振り向いたら戻るべき通路への扉はもう   ない。

 


 すっかり雨も上がった新緑の中立ちすくむところで夢から目覚めた。

 

 なぜこのような夢を見たのか?皆目分からないけれども。

 喧騒を逃れ扉を開けて外に出たとしても、戻ろうとした時には扉はもう無くなっていて。

 自分がなにしようと考えるよりも過ぎ去ってしまったその場所  瞬間には二度と戻ることは出来ないのだな。

 過去をいくら思い浮かべてみたとしても。

 過去のことは過去でしかない。

 ならばどう生きていくべきなのか と考えているうちに瞬間は過ぎていく。


 元気出していくしかないんだ。

 

 それにしても。なぜ夢なんか見るんだろう。


 許せないものはだいぶ無くなりました。

 最近はそんな具合です。

 おやすみなさい。

 

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にわか雨の香港行

 3月の下旬、30年近く前に渡った香港・マカオにもう一度行ってみた。

 30年前のその頃の香港は英領で中国はまだ貧しく、GDPで世界2位、バブルに沸く日本にあって香港と言う国はブランド品を買い漁ってお金を落とす国のひとつに違いなかった。

 中国人や他のアジアの国からの観光客の姿はほとんど見当たらず、日本人だけが欧米からの観光客に混じって繁華な街や観光地を闊歩していた。

 当時は日本語のガイドが今より目立って活動していたから会話に困ることも無かったし、旅行と言えば団体で添乗員つきと言うのがお決まりのパックであったから現代とはだいぶ様相が異なる。


 これから香港へ旅する人がまず知らなくてはならないのは、現代の香港の豊かさだ。貧富の差は日本のそれより大きい事はまず間違いないが、GDPで言えば香港民は日本の1.4倍程度稼いでいる。

 少し繁華街を歩けばハイブランドのロードサイドショップは日本をはるかに凌ぐ数を誇るし、街行く自動車だって高級なヨーロッパ車がひっきりなしに通過していく。

 むかしいた観光地の物乞いや土産売りの子どもらも姿を見ない。

 ホテルだってちょいと高級なところの料金は日本より高い。だいたい日本のビジネスホテル並みのサービス・ホスピタリティよりか劣っていたとしても日本より高いのだ。

 ホテルの質が上がらなくて料金だけが高くなったのは、中国本土からの観光客が金をばら撒くようになった2005年ぐらいからだとしてまず間違いないだろう。

 

 よって中国本土からの観光客に混じって日本人の矜持を維持していくように振る舞うと、まず散財してしまう事になる。

 やつらは金を持っている、と諦めて賢く振る舞うのが今の日本人らしいとボクは思うのだ。

 沢木耕太郎深夜特急で香港・マカオを旅したのが約40年前になる。バックパックの旅で大いに節約の安宿暮らしは今の若者が真似出来るのか?って考えてみるとかなり怪しい。

 深夜特急は雰囲気だけ味わえれば、それでいいんじゃないか。


 今回ホテルだけは綺麗な夜景が見たくて、高層階のハーバービュールームにこだわっては見たのだけれど、最上階にあるクラブラウンジも専用のレストランも自分には贅沢過ぎて落ち着けなかった。

 普段質素だが自分にとって過不足ないと定めた暮らしをしている身にとって、香港で地に足のつかない贅沢をしてもダメなのだ。やり慣れない事を異国でするのだから、余計に浮き足立ってしまった訳で、なんとなく  自分はいったい何やってるんだろうな?と言う感じになった。

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37階ホテル客室から


 食事、朝はホテルの専用ビュッフェ、昼夜は食べ過ぎないようにわざと抜いたり、どこか近所の地元民が行く食堂やレストランを探して入るのだけど、地元民が行く食堂って言うのは結構分かりづらいんだよね。ビールが置いてなくて、よくよく知るに至ったのはそのような地元民が行く食堂はあくまで食べるところでお酒の類は置いてないと言う事。日本の飲食店ならまずビールぐらいは少なくとも置いているのでこれはびっくりした。それにその地元民が行く食堂で出された水の味がかなり衝撃だった。水道の蛇口をひねってコップに注ぐだけ。ひとくち恐る恐る舐めたら苦いし口の中が痺れて来るしで散々なものだったのだ。

 それで日本より安いか?ってーと安くはない。

 お酒を出すレストランは日本より高いしおまけにチップも取ります。

 まぁ30年前の時は飯や酒の類は誰かさん持ちの大名旅行だったので、飲食の物価なんて気にしたことはなかったからね。

 日本よりGDPで稼いでいる国は、飲み食事の代金は日本より安いことはないです。美味しいものは当然に日本と同じか、より高い料金を支払わないとなりません。


 日本より安いもの、それは公共交通機関だけですね。 バス、タクシー、MTRと呼ばれる地下鉄。

 マカオ往復するターボジェットはエコノミーで4,000円くらい。

 これは安いんだか高いんだか…

 まぁバスは安いですかね。

 タクシーも初乗りで22HKDだからまぁ安いですよね。


 わたしはバスとタクシー、スターフェリーは安いから好んで利用してました。


 こうやっていろんなこと書いたんですが、今の日本の若い人には香港・マカオよりベトナムホーチミンハノイに行ってもらいたいよね。

 わたしがベトナムに渡ったのがやはり30年ぐらい前と15年前なんだけどさ。香港ほどは中国人観光客に毒されてはいない。まぁベトナムは中国とは仲悪いからね。発展もゆるやか。

 日本がODAで空港開発したって言うのも割合と親日派が増えて来てる。15年前に渡った時ですら、地元の女の子は日本て国や日本人を知らなかったからね。


 まあ次にアジア渡るとしたらハロン湾ハノイに行くのかなって考えてます。 自分はホーチミン、ニャチャンにしか行ったことがないので。


 いまは そんな具合です。


 にわか雨で目が覚めてしまいました。

 おやすみなさい。

 

絶望の逃避行 裂けて海峡

 裂けて海峡 志水辰夫


 物語は1980年代初頭を背景としている。

43歳のわたし長尾知巳は暴力団との些細ないさかいが元で2名の殺人を横浜で犯し2年服役していた。さなか、経営していた海運会社がただ一隻所有していた貨物船が実弟以下6名の乗組員とともに行方知れずとなる。

 海上保安庁の慎重な捜索・捜査の結果大隅半島沖合での海難事故と結論づけされる中、出獄したわたしは鹿児島県大隅半島中浦を最後の地と定めて事故遺族へのお詫び行脚をしてまわる。


 中浦ではまだ一度も会う事なく死亡した社員榊原功の遺族、婚約者との交流がある中で、中浦近くの外浜で特攻艇震洋の部隊員であった老人花岡康四郎と出会う。花岡は事故が起きたとされる晩に沖合20キロ付近から火柱が上がっていたとわたしに告げるのだった。

 わたしは自分の船がどのようにして海に没したのか、真実を求めてやまずにもう少し中浦に逗留しながら調べる事にした。


 そうして幾日か過ごしているうちに、東京から加納理恵が訪ねて来る。理恵はわたしが自分の会社を興す前に勤務していた加納海運社長の忘れ形見であり、理恵が幼き頃から兄妹のように慕い合う間柄だったが、ひそかに恋慕の情を抱いていたのも紛れも無い事実であった。

 理恵が東京から来た数日後、わたしが犯した殺人事件で面子をつぶされた暴力団が徒党を組んで中浦に追っ手をさし向けて来た。

 機転を利かして追っ手をなんとか巻いたのだが、不可解な出来事をきっかけに船の沈没がただの海難事故ではない事に気づかされて行くのだった。


 榊原功の婚約者冴子を小倉まで訪ねていくわたしは、死んだと思われていた榊原功を発見するとともに自分の船や実弟が国家的な謀略により抹殺された事を知らされるのだ。


 わたし長尾知巳と花岡老人、理恵を巻き込んで3人対国家の戦いの日々が苛烈に始まった。




 と、ラストは読んでから、シミタツ節をじっくり味わっていただくとして、ザッとあらすじはこんな具合です。


 わたし長尾知巳は昭和30年台なかごろには加納海運に就職しているので、戦前生まれ、さらに言えば志水辰夫さんが終戦時に国民学校三年生であった事実から志水さんの実体験を色濃く投影した主人公と言うことになりますね。(長尾は志水さんよりは歳下の設定にはなるが)

 物語としては、主人公が国家に追いつめられるシーンがとてもスリリングで疾走感があり面白いです。主人公にとって守るべき大切な存在がことごとく国家によって虫けらのように死に追いやられて行く描写が続き、普通であればしんみりするところだがそんな気持ちを想起しないで済むほど危機的状況が連続します。


 主人公が呵責に苛まれながら絶望的な戦いに身を投じて行く姿がシミタツ節と呼ばれる叙情にあふれた描写で渾身の一作です。


 シミタツ節的な作品は主人公が自分に優しくありません。いま割合と自己愛を肯定的に描く小説作品が多いと感じますが、シミタツ節にはそんなものは微塵もありません。マゾなんじゃないかと思うほどに主人公は自己を精神的肉体的にいじめぬきます。追いつめます。

 そうやって過ごすうちに、なにやらそのご褒美であるかのように、些少ながら微々たる好転が訪れたりします。

 

 空腹も一刻、ならば満腹も一刻として逃避行のさなか飢えに耐えるシーンが印象的です。

 それはいわば志水さんたち世代の豊かさへの警鐘であり、価値観のよすがであるように思います。


 なにぶん初出が1983年と言う古い作品になります。わたしは志水辰夫さんに愛着を持っていますので作品自体の背景がやや時代がかったものなど気になりませんが。

 クライムノベル、冒険小説、ハードボイルドと言うジャンル自体が無くなってしまう中で、こうした古い名著をまた引っ張り出して来て若い人たちにも読んでみて貰いたいなと思います。


 そんな具合です。

 

 

寝て曜日 深夜特急

 この土日は天気がいまひとつと言うことも手伝い、咳の続く体調を気遣って養生につとめました。


 寝て曜日と決め込んだ土日は買いためていた文庫を数冊か読む。

 ソファーでコーヒーを飲みながら、夜はビールを少しだけあおりながら。


深夜特急1  香港・マカオ』沢木耕太郎


 初出が1986年になるので、沢木耕太郎が実際に香港・マカオを旅したのはそれよりも5年も前の事になるんだろう。

 旅人のバイブルと呼ばれる深夜特急なのだが、実用性や情報性は今となってはかなり怪しい。通貨レートもだいぶ異なるし観光地ともてはやされた場所についても今とはだいぶ異なります。

 ただ、読み物としての出来栄え、叙情は捨てがたい魅力にあふれていて、わたしも今回の30年ぶりの香港行は多分に深夜特急にインスパイアされたものになりました。

 30年前のそれは、取引先の企業慰安旅行に潜り込ませていただいたものであり、ただ人についていったものだから旅とは言えないものでしたね。


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 重慶大厦 チョンキンマンション

 香港九龍の目抜き通りネイザンロードのチムサーチョイの賑わいにある雑居ビル。

 この中には貧乏なバックパッカー向きの簡易宿泊所ゲストハウスが無数に点在していて、テレビ版の深夜特急でも描かれていました。

 今回の旅では重慶大厦の両替屋さんにはお世話になりましたが、世界中からやって来るバックパッカーに混じってゲストハウス、ドミトリールームに宿泊する気にはなれませんでしたね。 

 それは今だからそう考えるのか?と言うより、バイクツーリングで各地を回って旅した若き日でも当時流行っていたユースホステルめぐりには興味を示さなかったので、旅先で似たような目的或いは似た境遇の若者の輪に入って行くことに嫌悪を持っていたんだと思う。

 つまり若き日も今も、自分が個の存在である事を何故か強く意識していると言う事なんだろう。

 それから多くの人に交わってそこの部分が変わったか?幸か不幸かそれはついぞ変わる事は無かった。

 その代わりに自分でやれる範囲の旅を自分の責任の範疇で楽しんで来たし、人に惑わされることなく判断して過ごす事が出来ている。

 若い時も今も、自分を人様から変に弄られるのは嫌だしね。


 重慶大厦は映画チョンキンエクスプレス邦題『恋する惑星』でも描かれました。現代の重慶大厦にはチョンキンエクスプレスと言うショッピングモールが併設されているので恋する惑星が与えた影響は香港にもしっかり残されていて非常に興味深いものでした。


 『裂けて海峡』志水辰夫


 これは長い小説になるのでまた別の機会に紹介します。初出はやはり1983年と言うやや時代がかったもので、日本の戦後史観、と言うより志水さんの感覚が色濃く出ています。

 面白い小説なので一晩で読み切りました。

 それでは また

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私はすべてに「いいえ」と言った。けれどもからだは、躍りあがって「はい」と叫んだ。

 月曜日の午後から処方された薬を飲み続けているが、どうにもこうにも咳だけがおさまらない。


 呼吸をしていると胸のあたりがスースーして息がどこかちがう場所へ抜けていくかのようだし、なんだか自分のポンコツ具合に嫌気がさす。


 抗生物質と総合感冒薬の処方、飲み合わせが良くないのか、味覚も飛んでしまって口の中にいつまでも錆のような苦味が残っている。いやだな。

 救いはまだ眠れること。先週の土曜日くらいはもう本当に身体がじーんとしびれてしまって眠りにつくことさえ許されなかった。


  誕生日を前にして、詩人の大岡信さんが亡くなられた。

 詩人は瞬間の王だから、深い深い野性と理性のあいだに即興的に生まれた言葉を考える事なく紡いでゆく。

 考えて出て来た言葉の連続ではないから、その言葉の持つ本来の力や美しさに思わずハッとさせられる。

 大岡さんの場合、考えるうちの仕事は評論だったんだろうな。

 現代、詩人生まれて来ないな。

 

 今の時代はさ、まあわたしも含めてなんだけど目の前にある餌をパクって食べているだけだもんね。人が指し示した書物や人が掲げた理念に追随するだけ。真似するだけ。

 それなのに、自分がやったんだってへんに胸を張られてもね、はらりはらりと波間に漂う木の葉の裏にへばりついたよ溺れぬように。

 


 

静物

冬の静物は傾き まぶたを深くとざしている
ぼくは壁の前で今日も海をひろげるが
突堤から匍いあがる十八歳のずぶ濡れの思想を
静物の眼でみつめる成熟は まだ来ない


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