行き暮れて
突然の雨に
しょぼくれてら
聖なる酔っ払いの伝説
わたしは酒に酔っ払い酩酊してしまう人が心底羨ましい。
アルコールを分解する酵素が人並み外れて多いせいか、酒を飲んで正体不明になった記憶が積年の飲酒経験でも一度きりしか無い。
32歳くらいの時、親友と日比谷で飲んだとき。
ショートカクテル17杯。
最後にスカイダイビングを飲んで、生まれて初めて人様に介抱されながら酒場をあとにした屈辱。
あいにくスカイダイビングのような爽快感も空虚な感じもなく言われるがままにタクシーで渋谷に向かってた。
人に介抱されかながらも意識はあった訳で、いまも悔恨の思いとともに時々浮かび上がっては消えていく思い出ですね。
ハタチ台のころのわたしは、その酵素分解量のおかげか悪酔いせずに、飲みすぎた時はすぐに頭痛が始まると言った具合でした。だから二日酔いと言う経験はほとんど無く、その代わりに酔ったときはその酔いを朝までしっかりと抱きしめて酔いを鎮めるような気分のあまりよろしくない酒飲みしか出来ませんでしたね。
酒を飲んで、ゆっくり眠れるようになったのはここ5,6年の話しだと思います。
そう言う意味では酒 弱くなったな と思うのですが…
むかしの酒飲みでなにやってたか?って言うと酒を飲んでクルマで横浜までドライブとか平気のヘイちゃんでしたからね。
良いとか悪いとか別にして、今にして思えば何も考えていなかったんでしょうが、当たり前のように女の子も隣に座っていましたからね。
ほのぼのと言うか、のんびりした時代だったんだなと感慨に浸るこの頃です。
ところで、酒に強くなる秘訣はひとつしかありません。
酒を飲んで、正気のままにいくら反吐をついたかにかかっています。反吐つきのたびに酒は強くなって行きますね。
まぁいちばん幸せなのは缶ビール一本くらいで人畜無害に寝られる人ですね。
若い時の自分は、酒を飲んで酔っ払って自分が自分でなくなるのを酷く嫌っていました。
そう言う時間がもったいないなと強く意識していましたね。
今でも酒を飲んで電車で熟睡とか考えられません。どんなに酒を飲んでも、家に帰って服を脱いで、たたんで、服を着がえて、枕の感触を確かめて眠りにつきます。
わたしは自宅でお酒を飲むようになったのは35歳を過ぎてからです。それまでは酒は家の外で飲むものだと考えていました。
だからアル中になっていないんだな。
バハマのテラスでモヒートとかね。
ヘミングウェイの呑み方に憧れる日々です。
今日は昼間っからマンハッタンを自作してやってました。
はっきりしない天気ですね。
どうしているものか?って考えながらグラスを傾けています。
川崎でぱくたれる
先日、先輩からのお誘いで川崎の現場に行きました。川崎の街は久々でしたが品川と横浜に挟まれながらもなかなか発展して来ています。
現場へ向かう無料送迎バスの中は、新聞や出走表を見ながらお客さんは誰もが真剣です。
本当の意味で良いお客さんにならないように、真面目な顔して学習復習しています。
ものの5分で現場である競輪場に着きます。
入場門をくぐるとそこはシャバではありません。
鉄火場です。
競輪は競馬と違って生身の人間を使って博打を打つので現場は心なしかヒリヒリしています。
昼間っから黒ビールを飲んで、ドイツソーセージをぱくついて気持ちを落ち着かせます。
車券を買うラウンジは小綺麗になっていますが、掛け手がいかんせん小汚い、いや貫禄のあるいでたちのひとが多くて目のやり場に困る事があります。
現場をパッと見て今日は勝てないような気分が自分の背中のあたりから立ち昇って来ました。
場の雰囲気が自分に味方していないな、と感じたのです。
百円を何通りか買うちっちゃい勝負を繰り返しましたが、最初に自分が予想した通り今日は自分の日ではありませんでしたね。
まぁそんな日もあります。
帰りは川崎駅の付近で先輩からご馳走になり、反省会をしました。
鉄火場にいる男どもは基本的に静かに勝負の行方を見守っていますね。
慌てず騒がず。
川崎の勝負は自分が最初から勝てない雰囲気を感じてしまった時点で勝負あったと言うところです。入り方が良くなかった。
また今度現場に行く際は勝てると思って場に臨みたいですね。