もう覚醒剤しか無い と言われました
調子悪〜って感じで実際に何をやっても上手くいく気配がしませんね。
今日は月一定例の通院でした。
病院は新宿区戸山にある、国際医療研究センターに世話になっています。
先生に昼間もう少しなんとかならないか相談したら、
そういう薬はなくて、あるとしたらそれは覚醒剤になってしまうんですよね、
と 直言されてしまいました。
先生はわたしよりだいぶ若いと思うのですが、時々こちらがギョっとする事を口にします。
キチ◯イみたいな事を言ってすみませんでした。
昨日は夜更かししていたので、おかしな夢は見ませんでした。
毎晩毎晩潜在意識を掘り起こされるような夢見てたら、本当に体がもたないよ。
北島康介が敗れて五輪落選してしまいました。
現実問題、頂点を10年極めたんだから、あとは落ちるだけなんだけどね。
5回目の五輪を目指していたって事は、およそ20年でしょ。
凄いよね。
涙する北島康介に、自分の人生を重ねた人も多いと思う。
おつかれさまでした。
あとね、バドミントン選手の賭博行為が発覚して五輪がフイに。
公営ギャンブルぐらいでやめておけは良かったのに…
わたしもたいがい人の事は言えないんだけど、男というのは本当にどうしようもない。
みずから安定を壊す生きものだよね。
世界プロスプリント10連覇の中野浩一さんは、今も競輪の解説でテレビに出てくるけれど、レースの予想自体は絶対に出来ないらしい。
影響力があり過ぎるからだと先輩が語っていた。
公営ギャンブル、ことに人間が独力で行っている競技の競輪には厳然たるルールづけがある。
わたしが極々たまに打つのは競輪だけだ。
推理したり展開読んだり投票するのに一番面倒くさいのかな、競輪は。
バドミントンの選手は、もっとも単純な違法賭博に走っちゃった。
先輩もよく言うんだけど、今の自分は全く展開に恵まれない。
ぜんぜん、贅沢言ってるつもりは無いんだが。
今は厳しい展開だなと感じてしまっているよ。ふーーー
誕生日の日に見た夢
誕生日だった昨夜もまた夢を見ました。 うへ
誕生日は、ひっそりと
産んでくれた親への感謝を感じながら過ごしました。
中二から高二まで好きだった女の子の夢。
正確には後日談に関する夢でした。
背景はたぶん現代に近い話しなんだと思う。
内容は、好きだったその子と、中三の三学期に名古屋へ引っ越した親友が結婚している話しでした。
まぁ夢なんで、現実にはそうなってはいないんですよね。
その子のその後は高二を最後に知らないんだけれど、誰か、わたしの知らない男性と結婚しているはずです。
でも、夢の中ではかつての親友と何故か一緒に暮らしてる彼女がいて、夢の中で腰が抜けるほどびっくりしている自分がいました。
わたしは中三で転校した親友とは、現実には東京と名古屋を往復して22歳?くらいまで一年に一回は会っていました。
それで夢の中のわたしは、親友の彼に聞くんですね。
だいたい転校したお前がなんで彼女と?と。
彼は、中学の同窓会で連絡を取るふりをして彼女にその後も一年に一回は連絡していたんだと言う。
彼女は近寄りがたい感じのマドンナだったから。なんか、そういう話しも分かるんですけどね。
それで、まぁこれも夢の中設定のはずなんだけど、離婚歴の有った彼女と数年前に結婚した、と 彼は話していました。
ニュアンスとしては大人としての悩みを聞いているうちに、みたいな割と綺麗な話しだったけど。
うーん なんかこうすごい微妙な夢なんだよね。
モヤモヤが消えないって言うか。
親友がねえ、むかし好きだった女の子と一緒に暮らしてるってさ。
古い話しなんだけど、やっぱり好きだったって感覚はやっぱり残っている訳で。
親友も別にわたしを裏切っている訳じゃないって事も、いちおう大人の頭で理解は出来ているんだけど…
モヤモヤだよ。
結局、現実に今なんとも言えない心持ちを抱えていて、それで自然消滅みたいに終わってしまった恋が象徴的に夢の中で出現したと言う。
自然消滅って、わたしの場合ほとんど無いんですよね。
白黒つけてからね、やって来てるんで…
ホント、誕生日の日の夜にさ
今現在自分が置かれている状況が夢の中に出るなんてね。
夢の中の感触を、久々に現実世界で思い出し繰り返し反芻してしまいました。
明るく生きていきたいな。
ホントにもう。
ハッピーバースデイな俺
明日は誕生日なのですが、また完全に調子崩しています。
昨日、今日と会社休んで、死んだ愛犬の写真に話しかけて二日過ごしてました。
会社や世の中では、人の動きがあったりしてるのですが、まぁあまり関係ないなぁと、頭痛と睡眠障害に苛まれる日々です。
眠ると悪夢にうなされました。
むかし若い時に現場で仕事していた頃の悪夢なのです。
時計は0時を回ってるのに、現場で残業しているんですね。
他の職方は誰もいない暗い現場で、一生懸命部品のようなもの?ビスを探しているんです。
明日は官庁検査があって、どうしても終わらせなければならない仕事があって、でも誰も応援してくれる人はいなくて…
組込みに必要なビスを探していると言う。
半分くらいは現実に受けたトラウマが重なっていて、半分は完全に夢の中の創作なんですね。
わたしは今になって思うんですけど、わたしは今でも悪夢にうなされるような酷い目に、若い時は随分遭っていたんだなあ と感じる訳です。
よく若い時には苦労した方が良いなんて無責任な事を当時の大人には言われてわたしは育って来たんですが、
わたしはしないで済むなら苦労なんてしない方がいい、知らないで済むなら嫌なイメージなんか植え付けられる目に遭う必要なんてないんだよ、と若い人たちには言いたい。
だってずっと後になって若い時の苦労した時のnightmareなんて見たくないじゃないですか。
かなり落ち込みますよ。
たとえそれが糧になって今はいっぱしの暮らしが出来ていたとしても。
名前のある馬というか、名門の出の子弟なら絶対そんな苦労はしないんだから。
でもそれ言っちゃうと親兄弟も否定することになっちゃうんでね。
やっぱりそういう若い時の自分に恨みを抱いちゃならねーぜって事になるんだと思う。
でもすごい辛いよね。
出自を封殺するって言うのは。
なんて言うのかな、出自が表に出ない人って、やっぱり自分の中にあるものをいろいろ殺していると思うですよ。
俺は知りたがりなんで、そういう人に会ったりすると、本当の事を教えてくれって、つい言いたくなるんだよね。
今夜はどんな夢を見るんだろうかね。
なかなか健全な方向には向かわないなぁ。
お前はその程度なんだよ、って。
まだまだそんな場所に身を置きたくないから。
夜見る夢の中でももがいてしまっています。 涙
ロキソニン中毒
ロキソニンを服用しての副作用に新たに加えられたものがあるらしく、ロキソニン愛好家の間ではプチパニックが巻き起こっているみたいです。(妄想)
わたしはかなり重度な肩凝り症で、肩凝りからの頭痛に悩まされていた口です。
そしてさらに直射日光を浴びるととても眩しく感じてしまう質なので、眩しくて目を細めてしかめ面しているだけでもやはり頭痛が起きてしまうのです。
大人になってから直射日光はサングラスで回避出来るようになったので良かったのですが、肩凝り由来の頭痛は如何ともしがたく、初期はバファリンそれからアスピリンなどなどありとあらゆる錠剤を割合と若い頃から試して服用していました。
ある日、肩凝り由来の頭痛が酷いと言って外科にかかった時に処方されたのがロキソニン錠でした。
今からどれくらい前でしょう、だいたい15年くらい前かな?
その、ロキソプロフェンと呼ばれる錠剤は本当によく頭痛に効いた。
嬉しくなるほど、直ぐに痛みが消えて快調になる。
こりゃ最高だって事でどんどん飲むようになった。
そのうちに、薬局でも薬剤師が常駐しているところでは市販されるようになった。
うんまぁ処方薬よりはだいぶ割高だけどね。
それで、ロキソニン、ロキソプロフェンの類いはいつも小銭入れに入れて持ち歩いている。
なんともない時も、ロキソニン、ロキソプロフェンを身に忍ばせていると安心するのだ。
もうお守り替わりになっている。
逆に旅行などに行った際に、それを忘れたりするとかなり動揺する。
そういう場合は旅先の薬局で市販薬を直ぐに購入するのだ。
よく行く出張先なんかだと、薬局がどこにあるのかリサーチしてから出掛けるくらいになってしまった。
ところで肝心なロキソニンの新たな副作用なのだが、小腸大腸の閉塞や狭窄を引き起こすのだそうだ。
正月五日に亡くなった愛犬柴が小腸腺癌からの小腸閉塞だったので(閉塞した箇所は開腹手術で切除したが、最期は癌があちらこちらに転移していた)この副作用と言うやつはかなり微妙だな、って思った。
今は睡眠障害が酷いので他の薬を飲んでやり過ごしてるのだが、こいつがどうも背中痛を引き起こすんだな。
それで痛くて我慢出来ない時はロキソニン、ロキソプロフェンを飲むようにしている。
ロキソニン、ロキソプロフェンを飲むのは自分にとって極々当たり前の事なので、まぁ背中痛で飲むのもついでのような通常運転みたいなもねだけどね。
ロキソニン、小腸閉塞って言うと愛犬ララの手術を思い出してしまって、なんともやりきれなくなる。
愛犬にロキソニンはもちろん与えていない。
ロキソニンはかなり安全な薬だと思う。
フルニトラゼパムは酒が入っている時に飲むとかなりグラグラくるし、足元が床にめり込むような酷い倦怠に襲われる。
フルニトラゼパムにトラゾドン二錠でなんとか寝られるけれど、安眠かどうかと問われればかなり眠りの質は低いと言わざるを得ない。
しかたないなぁ、と。
まだ朝起きた時の口渇感もあるし。
でも薬はなるべく慣れないようにしたほうがいいなって思っています。
おやすみなさい
乙武不倫で議員職もパー スカたん
謝罪の意にはこれからある議員選挙への立候補などに含みをもたせた、いわば禊(みそぎ)のようなものの意味合いが濃いのだと思われる。
わたしは乙武氏にはまったくと言っていいほど興味が湧かない。
かつては良識と博識ある障碍者だからとなにかにつけその発言や動向が注目を浴びたり、都内のこじんまりとしたイタリアンレストランで「車いすのお客様は事前に連絡されるか入店をお断りする」ローカルルールで彼がその店を揶揄tweetした後に炎上した際にも大して思うところもはっきり言って無かった。
ただ傲慢な男だな とは思った。
これは彼が五体不満足だから思うのではなく、公共の福祉を創世する職についていながら公共の店舗でのルールに従えないのはどういう事なんだい?と思っただけだ。
そして彼は公共からある種の裁きを受けた。
そんな過去の話はさておき、また不倫の話だ。
まったくやれやれだ。
有名人の不倫っていうのは本当に余計に下賤なものに見えてしまう。
世の中で有名になれたのでは飽き足らず、家庭を守る細君以外の女に手を出すなんざ男の風上にも置けないってんだよ。ああ頭に来る。
彼は24歳の時に大学出たての才媛と家庭を持ち、あいだには三児の子宝に恵まれると言う幸せであろう家族生活を営んできた。
そんな幸せに恵まれた彼が、あろうことか5人もの不特定多数の女性と不倫(浮気)に及んでいたのだと言う。
まさに毛沢東もびっくり、蒋介石もおどろく所業じゃないだろうか。アイヤー。
(意味不明)
わたしは生来不倫や浮気(精神的なものも含む)と言うものが理解できずにいて、個人的に大嫌いである。
よって不倫や浮気をしている人を真っ向から否定してしまうほうの人間だ。
いちおう日本には不貞行為と言う不法行為が民法典に有る訳だから、他の男女に興味が湧いて関係を持ちたいと言うのなら、ちゃんと片方の側とカタをつけてからやることやれよと思ってしまうのだ。間違っているだろうか?
無論、彼が五体不満足だろうが東京都教育長だろうがそんなことはお構いなしに、同情にも値しないし極論すればこんな人間は生きている資格がないとまで考えてしまう。
まぁ生死は言い過ぎかも知れないが…。
不倫や浮気ってなにが一番よくないかと言うと、やっぱり家庭の問題、子どもによくないよね。
じゃあ子どもがいなければいいのか?って言うと俺は全然そんな風には思えない。
どっちかが(若しくは両方で)不倫したり浮気していた親の間に生まれた子どもが幸せなのか?幸せになれるのか?って考えちまうんですよね。
乙武氏なんて子どもが三人もいるんでしょ。
それで謝罪の中身がその子どものためにもう一度やり直すって言うんだからさ、そりゃよそ様の家庭の問題だとしてもダシにされる子どもも細君も気の毒すぎて涙がちょちょぎれるって言うんだい。
情けなか。
(なぜか博多弁)
しかしまぁ一部分の浮気性、不倫性の人間ってやつはほとほと情けない存在だよね。
むかしと言うより今でもさ「浮気は男の甲斐性」なんて開き直るやつがいるけどさ。
有名だろうが金持っていようが、とんでもないやつだと俺は思う訳です。
乙武ほんとやめてほしいよ。俺の名前が絡んでる苗字だからなおさら
なんだこいつ と 個人的な感情も絡んでくるしさ。
そんで議員選挙に立候補するにしてもさ、どんな面さげて世の中に出てくるつもりなんだろうね。
どんな良心で公職に就くつもりなんだろうね。
なんかさ、世の中こう言うのが頻繁に起きて、さも当たり前みたいに許される土壌が出来るっていうのが一番嫌だよね。
世の中の感覚が狂うっていうかさ。
だって乙武だって不倫、浮気してるんだぜ って。
まぁあれです。ほんとはスルーするに越したことはないネタなんでしょうがね。
個人的には、こいつとんでもねえ奴だなと感じてしまってブログに書いてしまいました。
欲しいものリスト
amazonで買い物すると、本当にいつまで経っても過去の買い物履歴からランダムに欲しいものリストが作成されて表示されます。
わたしの場合に多いのは、今年の正月五日に12歳半で亡くなった愛犬柴犬関係のものが多いです。
ロイヤルカナンの療法食やペットシーツ、シャンプー、餌やり用の注射器のような器具などなど…
あまり気にしないようにしているし、わたしが欲しいものは物じゃないんだよーと声を大にして訴えたいです。
こないだの野沢温泉行きでも、父に何回も聞いてしまうんですね。
ララがどうやって亡くなったのか?と。
最期を看取れなかったのでね。
あいつは最期に逝く時に、少しはわたしのこと思い出してくれたのかな?とか、なんか細かい事が気になってしまうのです。
そんな事ならあの日会社に出勤しなきゃ良かったな などと、最期の場面については後悔しか思い浮かびません。
これってペットロスなんでしょうかね。実感が湧かない。
ララはたった一匹だけだしね。
思い出が次から次へと浮かんでは流れて行きます。
両親との媒介者 野沢温泉行き
今日は野沢温泉スキー場で滑る予定だったのですが、山のてっぺんのほうはガスって視界悪そうなのが見え見えだし、さらに30年ぶりと言う雪の少なさでコンディションが悪そうだったので宿屋で今日はスキーしないと判断して両親連れて土産屋に寄ったりして午前中には野沢温泉村を後にしました。
野沢温泉スキー場は上越に住んでいた時、今から10年は前になるでしょうか、東京都のアルペン公認大会に2年連続して出場しました。
やまびこゲレンデ、カンダハーコースと2つのFIS公認コースが大会バーンでした。
2、3歳のララ(柴犬、今年の一月に亡くなりました)を連れて上越から日帰り二連戦だったりして、かなり強行軍の大会参戦でした。
大会出場のスキーと言うのは遊びではなくて競技会になるので、言って見れば殺伐系スキーになります。
だから野沢温泉に宿泊して遊びスキーをするのは思い出の地に降り立ったララの供養になる気がして、
ああ、柄沢ゲレンデでララを放し飼いして喜んでどこまでもララは走って逃げたな、とか思い出に浸らざるを得ませんでした。
わたしはまだ野沢温泉に来る機会は幾らでもありそうなので、今日は年齢的にも最後になりそうな両親を優先して無理な旅程はやめておきました。
旅をしてると、ララを生前世話の手伝いしてくれた両親との話しになるんですね。
ララは両親との縁を媒介する大切な存在だったんだな、と改めて感じながら帰宅の途につきました。
かえりしな、ララを供養した霊園で彼岸中日の例大祭が本日執り行われたので、お参りに寄って花を手向けて来ました。
なんか上手く言えないんだけど、いいのか悪いのか、ララを大切な存在であったと忘れることはないし、旅に出る度にララを思い出して感傷にひたるんだろうなと思った。