悪魔の上海人形
右鎖骨を折ってから4週間経ちましたが毎日疼痛に悩まされています。
それでも、まえはクルマに乗り込むだけで痛みに震えていたものが今は運転も出来るようになりました。まあ右半身のダルさがつきまとうのですが。
なんでこんな状況でも運転できるのかといえば、いまから14年前の今頃は右前庭損傷で回転性めまいに悩まされながら、時にはめまい発作でフラフラしながらも当時居住地だった上越高田からめまい外来のある糸魚川まで高速で飛ばしていたという横紙破りが生きているんだなと思います。よく知らないけど。
夜はやっぱり右側に寝返りうてないのが辛いですね。寝ているあいだに無意識で痛めた側の右側に寝返りうつんじゃないかと内心ビクビクしながら寝に入るのですが、いまのところ右側に転げるような事はないみたいです。
そんなすこし非日常の眠りの終わりにまた夢を見ました。
私にしては珍しく、 男女合わせて七、八人でバリ島か海南島かよくわからない島へ遊びに行ったみたいです。
私はなぜかそのリゾート地のビーチでもまた、ひとりで遊んでいるんですね。
他の男女は暑いとかなんとか、もともとインドア派なのか知らないけどホテルのそばで買い物ばかりしてたみたいです。
そんななら海岸のリゾート地になんか来るんじゃねえ、頭きた と言って私はひとり上海に向かいました。向かいました、というより向かったみたいでした。
上海の浦東空港で市街地に向かうバスを待っていたら、スーツケースを転がしてダルそうに歩いている痩身の女の子が目に入りました。
その子は周冬雨でした。チョウ・ドンユィですね。ああ本国だからこういうの別に珍しくないんだな、空港だしな…そんな感想。
旧租界の街区が好きなのでそのそばにホテルを取り翌日の昼間。私はひとりで朝飯を食べに出ました。オープンテラスのある食堂で過ごしていて、ちらっと隣の席を見たらまた周冬雨が座っています。ストローでロングアイランドアイスティーをいじっているのでした。
それでどんな言語かはわかんないのですが、二人してコミュニケーションとってるんですよ。
お疲れ気味なわたしの脳はそんな二人を俯瞰して見ていて、それでそのシチュエーションがあまりにも無さ過ぎて半分馬鹿馬鹿しかったので、そんな馬鹿なと思わず寝言ついたところ目が覚めました。
骨折すると周冬雨が出てくるんだなとしばらくほうけていたけれど、周冬雨はちょっと痩せすぎだなと思います。みなさんどうですか。
彼女は13億人の妹だけあって期待を裏切らない活躍をしているみたいです。
まだズレてる
右鎖骨を骨折しておよそ3週間。
今日は通院でした。
いつも通りX線でレントゲン撮影して診察。
パソコンに転送された画像をモニターで確認した医師は、まだズレてるね と一言。
最近は痛みもだいぶ引けて可動域も広がっていたので、治癒に向けて順調に行ってる!と我が肉体に感心していたのですが…
まだ早かったみたいです。
あとやたらと手術をすすめてくるんですが、外科医アルアルだなと思って無視しています。
もし手術しなきゃならなくなったらセカオピで他のデカイ病院に移ると思います。
通いやすさで近所の病院を選んだ事をいまは後悔しています。近所の病院には後期高齢者ばかり。
イヤーな感じ。
いまは鎖骨 骨折とかでGoogle検索すると様々なサイトが上がってくるのですが、Yahoo!知恵袋や教えてgooの鎖骨骨折経験者談が一番参考になります。
牛乳と日光浴が骨折に効くらしいです。
フムフム。
完治までにはまだまだ時間がかかりそうです。
仮骨というやつが出来てきたら少しずつリハビリをやって行こうと思います。
いまはからだの姿勢を骨に具合よくするためにクラビクルバンドと言う装具をしています。
当初痛みで自分では外せなかっのですが、いまは左腕側を強引に外して脱着出来るようになりました。装着の時はザックを背負う要領ですね。
代表がワールドカップに出場することが決まって特段なにがどうと言う事はない日常ですが、明るくしてなるべく楽しい事を考えるようにだけしています。
2週間ちょっと、傷に悪いので酒を断っていました。一昨日くらいから復活したんですが、酒に弱くなってましたね。少ない量で酔えるってなんかいい感じです。すぐに耐性が出来上がっちゃうんでしょうけど…
今夜くらいから東京はだいぶ冷え込むみたいです。暖かくして過ごしましょうかね。
あと、今夜は中秋の名月です。
曇りだから見えないかな。
痛い痛いは良くなる証拠
やらかしてしまいました。
人生で初の試み もとい
骨折体験です。
なぜそうなってしまったのか?
これは笑いばなしになるその日まで伏せておくことにして。
もしかしたら?と言う予感めいたものを我が身にいだきながら、痛みに震える長い夜を過ごした翌朝。果たして右腕がだらんとして上がらなくなっていました。
それでもその日は痛みと肩の違和感に耐えながら日中を過ごしたのです。
やらかしの翌々日。やっと 医院に向かう気になる。右腕をくの字型にしてへそのあたりにピタっと腕をつけて。
なるべく揺らさないように。
少々荒っぽい整形外科の先生はわたしに一目くれると、やぁ鎖骨が折れてますね。レントゲンで詳しく診てみましょう。
レントゲンを診ると右鎖骨がこれ以上ないほどきれいで派手な、深刻な様子を写真が表し、骨がぶち折れるとはまさにこのこと。
なるほど、右肩のあたりがしゃかしゃか鳴るし、痛みは酷くなるし で これが骨折と言うものなのね。
先生はすぐにボルトとプレートの接合術をしきりに薦めて来たが、わたしはなんだか気持ち悪い感じがして手術はひとまず拒否り。
だいいち親にもらった大事な身体に、不要ならメスも金属片も入れたくなんかないじゃない ですか。
自然に骨がくっつく道を選びました。
ボルト、プレートの接合術は確かに痛みは引きやすいらしいけれど。開放骨折でもないのに痛みと引き換えに手術するなんて。わたしは嫌です。
嫌なんだヨ〜〜〜〜〜〜ッ!!!心の叫び
しかしアレですね。
痛み止めって言えばロキソプロフェンが出て来るんですが、肩こり片頭痛に悩まされ服用歴20年のベテランには効き目が薄いんだ これが。
もっと競争馬だとかヒグマにでも効き目がありそうな痛み止めを出して欲しいものです。
ヤンキーとか、OZなんかにはそんな強烈な痛み止めが出されるそうでそう言うのはうらやましー。
いま拘束着みたいな装具を肩からたすき掛けしているんですけど。ちょー怪しい人になってます。
てかこんなんで骨くっつくのか?すげーローテクなんですが。
寝返りをうてない夜が数週間続く。
他にも不便な日常。
病気もそうなんですが、怪我って嫌ですよね。
むかし経験値が低かったころは悲観的になったりしたんでしょうが、いまは色々な事を受け入れる気持ちのほうが強いです。
でも、今までさんざん無茶をやってきたので
今になってオレが骨折するかぁ?って感じですね。
とてもビックリしました。びっくり ぽん です。
退屈しない人
リバプールでプレミアを観たボクは、フェリーに乗り込んでマン島に向かった。
プラムと言う名のパブに落ち着いたのち、TTが開催される街中のコースをクランクベント越しに眺めている。
その晩ドラフトをしこたま飲んだ。
長旅の疲れを癒やすかのように、暫時赤子のように深い眠りについた。
三日後からマン島を回航するヨットレースにクルーとして参戦する。ポジションはメインセイル担当のヘルムスだ。
三日間行われる回航のあいだにボクは、マン島TTのフォーミュラ2クラスにもエントリーする羽目になってしまった。
バイクショップのマックがマン島に来たなら と言う事で勝手にエントリーしていたのだ。
フォーミュラ2と言えばむかしトニー・ラッターが席巻していたクラスなのである。
いまはその息子が同じく走り回っているが。
ともあれ、三日後のボクは深い青色が印象的なアイリッシュ海を滑空しながらカタマランに乗り込んでいる。
その日は吹かない状況が続いて穏やかな日和だった。アメリカスカップのように先を急ぐレースでもない。TTの開催に合わせてかつての支配階級が道楽で走らせているような気楽なものだ。
スキットルに仕込んでおいたアイラを時々ぐびぐびとやりながらその日は過ぎていった。
パブを引き払って、ダグラスにあるマックのショップに転がり込みレザースーツのフィッティングなどを済ませた。
明日走らせるバイクはドゥカティのマシンだ。
マックのモディファイはマン島を走るアマチュアライダーにも定評があり、ボクはマシンの基本的な特性だけ捉えて明日に備えるだけで充分なような気がしていた。
ショップの裏手にある母屋ではTTの前夜祭よろしくマックの店で100年続いて来たレセプションでごちそうが振る舞われた。
翌日、平原を左手にアイリッシュ海を右手に見ながらのブラインドコーナーでボクは転んでTTの休日の終わりは突然やって来たのだった。
きれいなスリップダウンだったから、人もマシンのダメージもたいした事は無かった。
マックの家の離れで連日語らい飲み明かした割に、TTのレースコースにあるアスファルトの染みと、公道をあらわすセンターラインの残像がいつまでも脳裏をよぎり眠れない夜を過ごした。
翌朝ダグラスの港まで歩いて向かっていたボクは、フットボールコートで遊んでいる子どもたちに混ざってボールを蹴り出した。
子どもたちがしきりパスを寄こせと声をあげている。瞬間ローファーが脱げて転んだ。
アッと声をあげてびっくりしたところで夢から覚めた。うっすらと鼻のあたまに汗が浮かんでいた。せわしない夢だったな、と思った。
時計はまだ四時前なのに。
日本
勝った
よかった
ホッとしました