東北の横浜 野蒜
震災で津波被害に遭った町の映像を、いまでも時々見かける。
野蒜という地名に思い当たりがあったのは、志水辰夫さんの 背いて故郷 から。
背いて故郷 では、陸前小野駅から始まり割合詳細な筆致での北上運河や鳴瀬川の風景が印象深い。
そして大久保利通が推進したとされる野蒜港の大開発事業だが、明治の台風で施設が流され開発が頓挫した記述もある。
鳴瀬川は太平洋にその河口を大きく開き、北上運河は陸に水運をもたらしたのだが…
わたしの実兄の細君が、矢本の出身である。
看護師をしているが、実家は航空自衛隊一家で全国を転々とした後に松島の基地で退官した父君の縁から矢本に定住されたとか。
実兄は津波で流された車の代わりに必要とされた中古車を、震災後間もない彼の地に届けたのだと後から聞かされた。
わたしも実兄も、東京で生まれ育った身の上だが少なくなく震災後の各地に関わりを持つ。
大槌町へ行った時には、まだ水路から上がらない行方不明者が何人もいた。
わたしは、背いて故郷 を読んだ。
30年前から野蒜の名前を覚えていて、そして想像もしていた。
由縁がないから関係ない、想像出来ないと言うのは、つまらない人生だと思う。